「うあ〜」
広間でいつもの様にタブレットを確認していた審神者が突然脱力し、うめき声を上げた。
「情けない声を出すものじゃないよ」
横に座る蜂須賀が苦笑気味に言う。燭台切光忠は少し離れた位置に座りながらその様子を眺めていた。
彼の新しい主は女性で、審神者としての力が弱い為出陣は積極的には行わない環境を維持していた。新参の燭台切もまだ二度ほどしか戦場に行っておらず、練度も僅かにしか上がっていなかった。けれどこの屋敷の穏やかさは嫌いではないし、日々の料理を主と共にできるという状況も気に入っていた。
「どうしたんだい?主」
声をかけると、彼女は難しい表情のまま顔を上げた。
審神者は丈の短いズボンと、薄手の上着を身に着けている。特にその足の露出度の高さは燭台切にとって落ち着かないものが有ったが、古株の面子が誰もそこには触れないので口は出せないでいる。もう少し彼女と親しくなったら苦言を呈してみようと、燭台切は密かに決めていた。
「政府から連絡が来ててね、そろそろ演練に出てみろって……」
「演練?」
聞き馴染みの無い単語に首を傾げる。見ると、主の隣の蜂須賀は何かを思い出したように頷いていた。
「そう言えばそんなものが有ると言ってたね」
審神者同士がそれぞれの刀剣男士を戦わせ、その実力の程を確認できる場が政府によって用意されているらしい。その環境で負った傷はすぐに治り、審神者の手による治療も不要。それでいて戦った分の練度は上がるので、積極的に参加する審神者も少なくはない。そう燭台切の主は説明した。
「今まで参加した事は無いのかい?」
「うん……ほら、私は元々そう言うの求められてなかったから。演練には全然参加してなかったし、政府も何か言ってはこなかったんだけどなぁ」
ぼやく審神者と苦笑しつつ彼女の頭を撫でる蜂須賀。初期刀だという蜂須賀は常に主の傍にいて、彼女を気遣っている様に燭台切の目には見えた。

審神者は定期的に政府に対して自分の本丸の情報を送っているらしい。何振りの刀がいて、それぞれどの程度の練度で、そしてどの戦域に何度出陣したか。そう言った情報を提出するのも審神者の仕事のひとつだと彼女は言った。 「みんなの練度が上がってきたから言われたのかな」
強くなるのは良い事なんだけどねと付け加え、彼女は考え込む。蜂須賀はそれに対して何か言う事はせず、ただ彼女の判断に任せているようだった。
「きみは演練に参加したくないのかい?」
疑問に感じた事をそのまま素直に聞くと、彼女は僅かに眉尻を下げて答えた。 「嫌って訳じゃないんだけどね。ただちょっと緊張するって言うか……。今まで他の審神者や刀剣男士を見た事も無いし」
「なるほど」
「無視しちゃっても問題は無いと思うんだけどね。命令って感じの文章じゃないし」
言いつつ、その文面が表示されているらしいタブレットをもう一度見つめる。自分は審神者として力が不足していると初対面の時にも言った彼女はそのせいか慎重な所が有り、出陣する面々を見送る時も様々な事の確認をしっかりと取る。今までも何か新しい事を決める時は、こうして考えた上で答えを出しているのだろうと思いながら燭台切は彼女を見つめた。
時々眉間に皺を寄せつつ考え込んでから、彼女は真っ直ぐに蜂須賀を見て聞いた。
「明日、試しに参加してみるのも良いかもしれない。蜂須賀はどう思う?」
「俺もそれが良いと思うよ。こちらに何か不利益が生まれる訳でも無いようだし」
蜂須賀は主の意見をあっさりと肯定した。そのまま彼女の頭を軽く撫で、微笑む。
「誰に行ってもらうか考えないとね。蜂須賀は決まりとして、次に練度の高い和泉守にも頼もうかな。後は五虎退と乱と…骨喰と歌仙……って感じかな。うん、これでいこう」
比較的練度の高い刀剣男士の中から刀種が均等になる様に参加者を選んだらしい彼女は、タブレットに目線を戻しつつ確認した。 「それで、俺達がしておくべき事は何かな」
「いつもの出陣と同じで良いよ。刀装と、それぞれの練度の確認。陣形とかはみんなで相談しておいてね。行ってみなきゃ分からない事もあると思うけど」
「了解した」
蜂須賀と相談していた彼女がふと顔を上げて燭台切の方を見た。そして僅かに気まずそうにしながら言う。
「燭台切は今回は留守番って事になるかな…ごめんね」
「構わないよ。夕食を作ってきみ達の帰りを待ってるよ」
安堵の笑みを浮かべつつ燭台切の主は微笑んだ。
刀剣として、他の刀と一戦を交える機会と言うのは確かに魅力的ではあったが、今の自分の練度ではそれも難しいという事はよく分かっていた。願わくば、今後も彼女が演練への参加を積極的に考えてくれる事を祈るのみだ。
「さてと。それじゃあ俺は参加するみんなに声をかけてくるよ」
「お願いね。じゃあ私は刀装を作りたいから……燭台切、手伝ってくれる?」
立ち上がり、軽く尻を叩いた主に問われる。
「勿論だよ」
それに頷きながら立ち上がり、彼女と共に刀装が保管された部屋に向かう。演練に直接参加出来ずとも、こうして僅かでも関われるというのは喜びに思えた。



*


演練の申し込みの締め切りは朝九時と決まっているらしい。
主と共に政府が管理するその屋敷に行くと、確かにそこには他の審神者と刀剣男士たちが集まっていた。
「お待たせ」
申し込みの手続きを終えた主が戻ってくる。今日の彼女は久方ぶりにあの朱色の袴を身に纏っている。周りを見ると他の審神者も男性は紺色の、女性は朱色の袴姿だった。
「さてと。後は組み合わせが決まるまでは待機かなぁ」
それぞれの審神者と連れてる刀剣男士の練度が同程度の相手と当れる様、政府が組み合わせを決めるらしい。それまではこの広い会場で基本的には好きに過ごして良いと審神者は蜂須賀たちに説明した。
「あっ!ねぇ見て見て!ボクがいる!」
審神者の手を引っ張りつつ言う乱が示す先には、確かに同じ姿形をした乱藤四郎がいた。
「ほんとだ……なんか不思議な感じだね」
他にも歌仙兼定、和泉守兼定の姿も見えた。同じ姿をしていてもどこか雰囲気に違いがある様に見えるのは、やはり審神者の差なのだろうか。
自分の主以外の審神者を目にするのは初めてだった。大半が男性で、女性は三割ほどしか見当たらない。年齢は様々で、主と同じ様に年若い者もいれば、七十は越えていてもおかしくない老人もいる。才能が有ればそれだけ長く審神者でいられるという自分の主の言葉が脳裏をよぎった。
「やっぱりちょっと緊張するね」
少しばかり落ち着かないらしい主は興味深げにあたりを見回す。その頭を撫でてやりながら、同じ様に周囲を見る。
「そう気を張る必要は無いよ。戦いは俺達に任せて、主はゆるりとしていると良い」
「うん……ありがと」
小さく微笑みそう言うと、審神者は落ち着きを取り戻した様だった。
周囲の他の審神者と刀剣男士の様子を見ながら、その関係性もそれぞれに違うものである事を今更ながらに理解した。全く会話をしていない者たちもいれば、自分たちと同じ様に笑みを浮かべながら話をしている者たちもいる。どちらが審神者と刀剣男士の関係として正しいのか、蜂須賀には判断がつかない。 「あ」
不意に、主が持つタブレットが軽い音を鳴らした。その中を見て、主は蜂須賀たちに声をかけた。
「相手が決まったよ。控室に行こう」



控室には机と椅子、審神者用の飲料水しか置かれておらず、簡素としたものだった。ここで順番が来るまで待機するよう指示されたらしい。
「うーん……どう思う?」
椅子に座りながらタブレットを眺めていた審神者に問われ、蜂須賀もその画面を見る。そこには演練相手の刀剣男士の名が六名分記されていた。
「これはまた…」
「おい、どうした……げぇ」
思わず漏らす蜂須賀の背後から同じ様に画面を覗き見た和泉守が露骨に顔をしかめた。それに釣られ集まってきた他の面々も、審神者の持つ画面を確認すると苦い顔になった。
「まさか大太刀を三人も入れてくるとはねぇ…」
苦笑いで審神者が言う通り、そこに記されていたのは太郎太刀、次郎太刀、蛍丸の名前。どれも大太刀であり、彼らの高い攻撃力とその範囲の広さが脅威なのは刀剣男士として持って生まれた知識として理解していた。
「他にも蜻蛉切と獅子王、一期一振までいやがる」
残りの面々も素の能力が高く、一筋縄ではいかないのは明白だった。これは一体どうしたものかと考えていると、審神者は思いの外軽い調子で言葉を続けた。
「でも練度はみんなより低いんだね」
確かにその通りだった。相手の練度はこちらより平均して十程低い。練度が同程度の者同士が当る様に組み合わせるという政府の仕事は、確かに間違ってはいない。
「でもあるじ、相手大太刀だよ?」
審神者の腕を掴みながら乱が言う。五虎退も隣で泣きそうな顔をしている。短刀である彼らにとってこれはより厳しい環境に思える筈だ。
「うん……でも大太刀って足は速くないんでしょう?乱と五虎退は足が速いし、歩兵の特上も持ってるし、それに必殺もよく出せる。いつもの出陣でもそうでしょ?だから、二人なら大丈夫だよ」
言いながら、審神者は乱と五虎退の頭を撫でる。どこかのんびりとした彼女の言葉に、二人の目の色が変わった事に蜂須賀は気付いた。
「骨喰も歌仙も、レベルが随分上がったし、あなた達は遠戦で相手の刀装を削って、隙を作れる。そこを突く事が出来ればチャンスも有るよ」
ゆったりと続ける審神者のその言葉に、歌仙が口角をゆるりと上げ笑った。骨喰もその静かな瞳で彼女をじっと見つめる。
「和泉守もいつもみんなとしっかり連携を取ってくれてるでしょ?今日も落ち着いて相手の出方を見れば、大丈夫だよ」
隣に立つ和泉守が僅かに息を吸ったのが分かった。
ゆるりとしていれば良い、そう蜂須賀が言った通りに、主はのんびりと語りかける。どこか気の抜けるその語り口は、けれど確かに彼らを信用していると分かるものだった。
「蜂須賀」
主の黒い瞳がじっとこちらを見上げる。
「お願いね」
「ああ、期待に応えよう」
握る手に力がこもるのは、戦う為に生まれた刀として当然の事だった。



*



初めての演練は白星で終った。
流石に大太刀は強く、正直ギリギリのところだったと思う。けれどみんなしっかり連携を取って、頑張ってくれた。控室へと戻ってきた彼らの表情はとても誇らし気だった。

「では失礼します」
「こちらこそお疲れ様でした」
演練相手の審神者と互いに会釈をして別れる。他の審神者とこうして会話をするのは初めてで、なんだか妙に新鮮だった。
ふと視線を感じて顔を上げると、幼い顔立ちをした大太刀がじっとこちらを見ていた。蛍丸と言う名の彼は、先程の演練で見た時よりも僅かに穏やかな表情で私に手を振った。
それに同じ様に返すと、彼は満足したのか自分の審神者の元へと走って行く。相手の審神者は思いの外穏やかな人だった。彼の元でなら、あの蛍丸たちも気持ちよく日々を過ごせる気がした。
「話は終わったかい?」
少し離れたところで待機していた蜂須賀が声をかけてくる。傷を負いつつも誉を獲得した彼は蛍丸とその審神者の後姿を静かに一瞥した。
「蜂須賀もお疲れ様」
「ああ、主に勝利をもたらせて何よりだよ。きみもお疲れ」
「私は何にもしてないよ」
「そんな事は無いさ」
言いながら蜂須賀は私の頭を撫でる。そのまま髪を一房取り、毛先までゆっくりとなぞった。
「きみの言葉で皆奮い立った。勝てたのは主のお陰だよ」
「私の言葉…?」
確かに控室ではみんなに声をかけたけれど、そんな大それた事を言ったつもりは無い。
「主に信頼されているというのは、俺達にとって誇らしい事なんだよ」
そう言うと、蜂須賀は私の背を軽く押した。それに促されるまま、みんなの元へと戻る。
待っていた五人は揃って満足げな表情をしていた。普段は感情が乏しく見える骨喰までもが満ち足りた顔をしていて、なんだか私まで嬉しくなる。こういう顔を見られるのであれば、演練と言うのも良いものかもしれないと考えた。