七
審神者としてこの屋敷に来る前、政府から朱色の袴を支給された。これを着て初期刀を選ぶようにと言われ、蜂須賀に出会った。屋敷に着いて本格的に審神者としての生活を初めてからも、ずっとこの朱色を身に纏っている。
けれど別に着用を義務付けられているという訳ではなかった。政府に顔を出す時や、正式な場などでは基本的に着なければいけないものだけれど、日常の生活での服装の指定は特にされていない。ただ何となく、和風の造りの屋敷とも合うかなという、ただそれだけの理由で着続けていた。
「おはよう」
「お?」
この日最初に会ったのは和泉守だった。彼は驚きの顔をそのままに私の頭からつま先までを二往復分見つめた。
「妙な格好してんな」
和泉守はいつも物言いが素直だ。
「そうじゃないでしょ兼さん!」
横から和泉守にそう言った堀川国広は三日ほど前に呼び起こした。相棒の様な彼が来たからか、ここ最近の和泉守は機嫌が良い。
「お似合いですよ、主さん」
「ありがとう、堀川」
夏も近付いて暖かくなってきたし、気分転換になるかもと思って箪笥から引っ張り出したのはショートパンツとパーカー。久々の洋服は少し驚く程に着替えが楽だった。長い紐を結ばなければならない袴とでは着替えにかかる時間に随分と差が有る。
「珍しいな、そんな格好」
「うん、ここに来てからは初めてかな」
足を出したのは久しぶりで少し落ち着かないところも有ったけれど、やっぱりこういう格好が一番しっくりくる。
「あるじ、その格好可愛い!!」
軽い足音と共に走って来た乱が腰に抱き着いてきた。後ろから他の短刀の子達も集まってくる。
「おはようみんな」
「主様!今日はお出かけするんですか?」
「そう言う訳じゃないよ。ただちょっと、気分転換にね」
「主君はどんな格好もお似合いになられますね」
ひとりひとり順番に頭を撫でる。みんなそれぞれにこの格好への感想を口にしてくれて、少しくすぐったい嬉しさに襲われる。短刀の子達は感情の表現が素直で、幼い見た目と合わさってとても可愛らしく思える。
「よぉ大将。いつもの袴も似合ってるが、こう言うのも良いもんだな」
落ち着いた足取りでやって来た薬研は一週間ほど前に呼び起こした。短刀の彼は他の子達よりも大人びていて、頼れる兄の様な存在に見えた。他の短刀の子達と同じ様に頭を撫でるのは憚られる程に男前な彼は、いつもの鎧ではなく白衣を身に纏っていた。
「ありがとう薬研。薬研もその眼鏡、似合うね」
「ありがとよ。今日は出陣も無いんだろう?好きに過ごさせてもらうぜ」
「うん。みんなも今日は自由に過ごして良いからね」
今日は出陣も、ここのところは毎日行う様になっていた遠征も休みと決めていた。馬や畑の世話は最低限しなければならないけれど、内番として誰かを指定はしていなかった。今日は完全なオフの日。みんなには思い思いに過ごしてもらおうと決めていた。
「じゃあ俺達は手合せでもするか、国広」
「はい、兼さん!」
和泉守と堀川は道場へと向かった。初陣の頃から戦いに参加していた和泉守は蜂須賀に次いで練度が高い。それでいて意外と面倒見の良い彼は、堀川以外にも脇差や短刀の手合せの相手をしてくれている。
「俺は薬の調合でもしてくるぜ。何か欲しいものでも有ったら声かけてくれや」
軽く手を振りながら去って行った薬研は医療の知識が有るらしく、色んな薬の調合を行っている。趣味みたいなもんだと彼は笑った。 「みんなは何するの?」
残った短刀たちに声をかける。すると一番手前にいた五虎退が虎を抱きしめながら言った。
「あ、主様と一緒に過ごしたいです!」
「うん、いいよー。じゃあみんなでバドミントンでもしよっか」
「やったぁ!」
歓声を上げる短刀たちに引っ張られながら、少し眩しい庭へと向かった。
「あっつー……」
バドミントンでついはしゃぎ過ぎた結果、私は完全にバテていた。
「主君、お水をどうぞ」
「あるじ大丈夫ー?」
短刀たちはまだまだ元気だ。審神者としての力だけじゃなくて普通の体力も乏しいとは、自分が少し情けない。
バドミントンのラケットは今は厚と愛染が握っている。二人とも物凄いスピードでラリーを繰り返していて、正直私にはシャトルが殆ど見えていない。刀剣男士だからこその力なのか、それとも子供と言うのは往々にしてこんなに元気なのか、或いはその両方なのか。何にせよとても元気な彼らは初夏の日差しも相まって酷く眩しく見えた。
縁側に座りながら、前田の持って来てくれた水に口を付ける。ちょうど良い冷たさで疲れた体に染みる。
「ふぅ……」
「あの、主様…」
思わずため息を漏らしていると、五虎退が隣に座った。お互いの脚がくっ付く程の距離で、彼はこちらを見上げる。
「どうしたの?」
どこか不安げに眉を下げた五虎退の頭を撫でながら聞く。
「あの……主様は、ずっと僕たちの主様でいてくれますか?」
突然の言葉に、五虎退を撫でる指先につい力が入った。動揺が顔に現れているのが自分でも分かって、慌てて誤魔化す様に笑った。
「急にどうしたの?」
「あ、あの……主様は人間だから…いつかはいなくなるって…骨喰さんが…」
骨喰藤四郎。冷静で、いつも静かに周りを見ている彼。彼の言葉は端的で、誤魔化しが無い。どう言う流れでそんな会話に至ったのかは分からないけれど、人はいつか必ず死ぬという事をそう表現したのかと想像は出来た。
「そうだね……確かに私はみんなと違って人間だし、寿命は有るけど、政府から任期の指定はされていないし、限界までみんなと一緒にいるよ」
嘘は言わない様、言葉を選んだ。
その私の戸惑いには気付かないでいてくれたようで、五虎退は沈んでいた顔を持ち上げて笑った。傍で静かに聞いていた前田も、ほっとしたように吐息を漏らした。
付喪神である彼らは私を慕ってくれる。青江との会話を思い出した。好意を向けてくれるのは本当に嬉しいけれど、いつか必ず来る別れの事を思うと、審神者と言う立場は彼らに酷な事をしていると今更ながらに感じた。
考え込みそうになりながらも厚と愛染の戦いを眺める私は、庭の向こうからこちらを見る彼の視線には気付かなかった。
バドミントンによる戦いも終え、満足した短刀たちはそれぞれに散って行った。私も縁側から離れ、ひとり庭の奥へと向かった。
沢山の野菜が育つ畑の傍に、大きな欅の木がある。ちょうど良い日陰を作るその幹に背中を預けて座ると、穏やかで涼しい風が抜けて行った。目を閉じ、その静かで空気に暫く浸っていると、足下で小枝を踏む僅かな音が聞こえた。つられて顔を上げると、そこには難しい顔をした蜂須賀が立っていた。
「そんな格好でこんなところに座り、あまつさえ眠るとは感心しないね、主」
「……起きてはいたよ」
「そうかい」
どこかぶっきらぼうな彼はじっとこちらを見下ろす。普段とは違うなとぼんやり思いながら見つめ返していると、蜂須賀は小さく息を吐いてから言った。
「それで?実際のところはいつまでこうしていられるんだい?」
その言葉に私を責める音は感じられなかった。けれど真っ直ぐに問う蜂須賀は、私が誤魔化す事も逃げる事もきっと許さない。
「聞いてたんだ…?」
「ああ」
全く気付いていなかったけれど、五虎退とのやり取りを蜂須賀は聞いていた。敏い彼は私の動揺も、誤魔化しも気付いている。素直に言うしかないと、腹を括る。
「任期が決まってないのは本当だよ。でも……そうだね、うん、限界はあるの」
蜂須賀の目が僅かに細められた。怒っているのか、傷付いているのか、逆光なのもあって判断が付かない。ただ無言のまま、その先の説明を求める様に私を見つめ続ける。
「審神者はね、元々の才能が大きければそれだけ長く勤められるの。だから優秀な人は本当に寿命で死ぬその時まで審神者でいられる」
この屋敷に来る前、研修で教えられた事だった。
ここでの仕事に慣れ、みんなの神気にも馴染んで力が増してきたけれど、それでも元々の審神者としての才能が乏しい事には変わりはない。どの程度の期間審神者でいられるかは持って生まれたその力の強さに比例する。つまり力の乏しい私はあまり長い事この生活を続けられない。 「限界がいつ来るかは私も政府も分からないの。結構個人差があるみたいで…」
限界を迎えた時、審神者の体に何が起こるかも個人差が有るらしい。突然気を失い眠りにつく人もいれば、耳が聞こえなくなる人、酷く体調を崩す人、色々らしい。その全ては審神者を辞め、元の世界に戻れば改善され、命の危機に瀕する事は無い。ただそう言う状況になっても無理に審神者をやり続けると、最悪命を落とす。
「死ぬ…のかい」
ずっと黙って聞いていた蜂須賀がぽつりと零した。その手にはきつく力が籠められている様に見えた。
「最悪ね。ちゃんと政府に報告して、真っ当な方法で審神者を辞めれば問題は無いの」
だから心配しないでと続けたけれど、蜂須賀の表情は変わらなかった。
説明を終え、何を言えばいいのか分からなくなって黙り込む。吹きぬけた風が蜂須賀の長い髪を揺らした。
「主はずっと、俺達にその事を黙っているつもりで?」
僅かの間の後問われ、思わず俯く。いつ言うか迷ったまま時間だけが過ぎて行っていたのは確かで、弁解の仕様も無い。
「うん……ごめんね」
「これからも言うつもりは無いのかい?」
「……うん」
自分でもいつその時が来るのか分からない事をみんなにちゃんと説明できるか、自信が無かった。それに伝えた時、みんながどう反応するのかも少し怖い。
逃げているようで申し訳がないけれど、それでも出来ればこのまま何も知らせず、今まで通りに過ごしていたい。
「……分かったよ」
暫く考え込んでいた蜂須賀はそう言うと、ようやく笑みを浮かべてくれた。殆ど苦笑の様なそれだったけれど、ずっと難しい顔をしていたからホッとした。
「君の意思に従うよ」
「ありがとう蜂須賀。……ごめんね」
「謝る事は無い。ただひとつ約束してくれ。何か不調を感じたらすぐに俺に言う事。いいね」
「分かった」
頷くと、蜂須賀は手を差し出した。それを掴み、立ち上がる。背の高い蜂須賀は少し腰を曲げて、私の顔を覗き込む。そのまま何も言わずじっと見つめてから頭を優しく撫でた。
「最後のその時までお供するよ、主」
蜂須賀の大きな手を握り直し、頷いた。