六
初めての出陣をした日から、屋敷は賑やかさを増していた。
それまで週に一度のペースだった鍛刀を三日に一度にした事で、当然刀剣男士の数も増えた。出陣も大体四日に一度のペースで続けているから、そこで見付けた刀も随時呼び起こしている。幸い私の体はこの仕事に大分慣れたようで、気を失う事は無くなった。昨日は太刀である大倶利伽羅を呼び起こしたけれど、少し眩暈がする程度で済んだ。これには後ろに控えていた蜂須賀も目を見張っていた。立派になったものだと満足げに言われ、少し照れ臭かった。
「ほんと歌仙が料理好きで良かったよ」
ジャガイモの皮をピーラーで剥きながらそう言うと、隣で大根の皮を丁寧に剥いていた歌仙は意外そうに眼を瞬いた。文系を自称する彼は料理も得意な様で、積極的に手伝ってくれている。
「君は料理が苦手なのかい?」
「苦手って程じゃないけど…でも得意ではないの。だから歌仙が手伝ってくれて本当に助かってる。最近は人数も増えてきた分、量も多いし」
「お役に立てて光栄だよ」
言いながら、スルスルと剥かれていく大根を見る。明らかに私より包丁捌きが上手い。これならもう全部歌仙に任せてしまおうかなと、少し怠惰な考えが過った。
「所で主、ひとつ聞きたい事が有るんだが、良いかな」
「うん、なぁに」
「近侍はずっと蜂須賀が務めているのだろう?彼以外に任せる予定は無いのかい?」
これは歌仙以外にも何度か聞かれた質問だった。
刀である彼らは戦いで活躍したいだとか、トップに立ちたいだとか、そう言う欲求が強いらしいという事が最近分かってきた。近侍と言う立場は刀剣男士たちのまとめ役の様なものでもあるから、要はリーダーの様な立ち位置になる。そう言う立場にも、彼らは惹かれるものが有るのかもしれない。
「うーん……」
ぼんやりと言葉を考える。当の蜂須賀は今日は出陣していて屋敷にはいない。隊長としてみんなを纏め、今は江戸あたりにいる筈だ。 色々と心配もしていたけれど、出陣は今のところ順調に進められている。大きな怪我を負った事はまだ無いし、みんなそれぞれのペースで着実に練度を上げていっている。その中でも、蜂須賀は誰よりも練度が高い。
「ずっと蜂須賀に任せてるから…これが当然って感じがしてて…」
「なるほど」
「どうなんだろう。やっぱりみんな、近侍やりたいのかな。蜂須賀と相談した方が良いかな」
聞くと、歌仙は曖昧な顔で微笑んだ。何かを諦めた様にも見える顔をしながら、歌仙は丁寧に包丁を置く。
「こういう事は主が自分で決めるからこそ意味が有るものなんだよ」
「ふぅん……?」
何となく言葉の意味を図りかねて、ぼんやりと答えてしまう。けれど歌仙はそれを気にする素振りは見せず、てきぱきと料理を続けた。そのままこの話は打ち切りとなって、私はそれ以上意味を追及するタイミングを失った。
昼下がり、厩に顔を出してみるとそこには青江がいた。馬当番に命じた訳でもない彼は妙に楽しそうに馬を撫でている。二頭に増えた馬たちはとても大人しく、不慣れな私が近付いても暴れたり怯えたりする事は無い。
青江に倣って彼らを撫でていると、ふと昨日の歌仙の言葉を思い出した。そのままに青江に話してみると、彼は意味ありげな笑みを浮かべて言った。
「それはみんな、君に選ばれたいという事だよ」
呼び起こしたばかりでまだこの屋敷や他の刀剣男士と馴染んでい無い筈の彼は、けれど確かな自信を持った風にそう言った。どういう事かと聞き返と、青江は少し考える素振りを見せてから続けた。
「僕たちは付喪神だ。それは知ってるね」
「もちろん」
「付喪神にとって自分を呼び起こした主は絶対の存在だ。基本的にその命令には従うし、他の人間には向けない好意も抱く」
「うん」
「僕たちの今の主は君だ。つまり、僕たちは皆、多少程度の差はあれど君の一番になりたいと思っているんだよ」
「……うん?」
話が飛躍したような気がして首を傾げると、青江はこちらを真っ直ぐに見つめていた。からかっているつもりは無いらしい。
「人間にだってあるのだろう?自分が好む相手の一番になりたいという欲が」
それと同じだよと言って青江は笑った。
そう言われると、確かに理解は出来る。そりゃあ誰だって好きな人にとって自分が一番だと分かったら嬉しい。でも刀剣男士である彼らが戦いや、仲間同士での立ち位置で一番になりたいと思っているのは分かるけれど、私に選ばれたいというのは、正直しっくりこない部分が有った。
「うーん……」
「納得出来ないかい?」
「正直あんまり……みんなが慕ってくれるのは嬉しいけど、でも私は審神者として力が弱くて主としては未熟だと思うし……みんながそう思ってくれるには勿体ない気がする」
自分を卑下するつもりはないけれど、やっぱりそこが気になった。
歴史にその名を残すような彼らがそんな思いを寄せてくれるに値するほど、私は主として真っ当にやれているのか、正直自信は無い。多少慣れてきたとはいえ出陣も鍛刀も、やるかどうかは私の体調次第だった。少しでも調子が悪いと予定を取りやめると蜂須賀も言っている。彼らをもっと戦いで活躍させてあげたいけれど、自分の力不足が理由で出来ないでいる。武功を上げる事を喜びに感じる彼らには物足りない環境に思えた。
馬を撫でる手を止め考えていると、青江はゆるりと笑って言った。
「君は君が思っている以上に、僕らの主として真っ当にやれているという事だよ。新参の僕でも分かる程度にはね」
「そう、青江が言ったのかい?」
「うん」
夜、寝室として使っている離れの縁側に座ってぼんやりとしていると蜂須賀が声をかけてきた。こんな時間に寝間着姿で外に出るものじゃないという一通りの御小言が済んでから、昼間の青江の言葉を伝えてみたら蜂須賀は目を見張るようにして驚いた。
「そんなに意外?」
「いや……ああ、そうだね。あの脇差も案外周りを見ているものだと思ってね」
苦笑気味に言うと、私の頭を撫でる。
「青江の言葉は間違いじゃない。主はちゃんとやれているし、俺達も主に対して不満を抱いたりはしていないよ」
「ほんと?」
心配はしているけれどねと付け加え、蜂須賀は笑った。
「審神者としての力が弱くとも、主がしっかり考えてやっているのは皆分かっているよ」
蜂須賀にそう言ってもらえると、なんだかとてもほっとした。彼の言葉はいつも優しくて、それでいて真っ直ぐな気がする。嘘や誤魔化しの無い素直な言葉。蜂須賀が傍にいるとやっぱり落ち着く。
「そう言えば歌仙も似たような事言っててね。蜂須賀以外を近侍に選ぶ気は無いのかって」
「へぇ……それで、主はなんと?」
「今は考えてないって答えた。近侍はずっと蜂須賀にお願いしているし、出来ればこれからもそうしたいし」
「そうかい」
もう一度、私の頭を撫でる。
「勿論、蜂須賀が嫌じゃなければだけど」
「当然だ。贋作にも、他の刀にも、この位置を譲る気は無いよ」
はっきりとそう言って、蜂須賀は私をじっと見つめた。いつもと同じ様にも見えるその瞳の奥に、僅かな熱の様なものを感じた気がして、心が少しくすぐったくなる。
その瞳を見て、青江の言葉が過った。私の一番になりたい。蜂須賀もそう思っているのかどうか、本人に直接聞く勇気は無かった。
けれどやっぱり蜂須賀たちに慕ってもらえるのは嬉しい。だからこそ、力が足りないなりに精一杯頑張ろうと、心に決めた。