五
出陣に関して、いくつか決まり事を作った。
ひとつは、誰かが一人でも軽傷になったらすぐに帰ってくる事。短刀の子達は生存値が低い。小さなダメージでも放っておくのは怖かった。
もうひとつは、夜になる前に必ず帰ってくる事。夜戦だと太刀の能力が下がるらしい。素の攻撃力の高い和泉守の力が落ちた結果、全体に良くない影響が出てしまうかもしれない。それは避けておきたい。
本当はもうひとつ、刀装を失ったらすぐ帰る事と言うのも言いたかったけれど、それは蜂須賀に止められた。と言うのも、刀装と言うのは基本的に消耗品らしい。失っても仕方がない、そのくらいの心持でいた方が今後の事も考えると良いと彼は言った。本当は心配だったけれど、蜂須賀の意見も尤もに思えたので大人しく従った。
朝ごはんを食べて少しの休憩を挟んでから、五人は戦いへと赴いた。
蜂須賀はそんなに不安そうな顔をするものじゃないよと私の頭を撫でてから出て行った。その後ろで和泉守も苦笑を零していたので、私は本当に情けない顔をしていたのかもしれない。
彼らがいなくなると、この屋敷は本当にガランとしてしまう。本当は彼らの内ひとり、ここに残るべきではないかと話し合った。何かが起きた時の為、私の傍にいて身を守るべきではないのかと、蜂須賀の意見だった。
けれどこの本丸の中で今まで一度も危険な目に遭った事は無かったし、出陣の人数が四人に減る事の方が私としては心配だった。お互い自分の主張をなかなか譲らなかったけれど、結果として蜂須賀が折れた。そうして今、私はこの屋敷にひとりでいる。
何もせずじっとしていると戦いに出ているみんなの事を考えてしまって、酷く落ち着かない。出陣している彼らと直接連絡をとる手段は無い。だから現地でどういう状況になっているか、今は全く分からない。
初めての出陣なので、戦域もそう厳しい場所ではないからそんなに心配する必要は無いのかもしれないけれど、それでも不安なものは不安だった。戦場がどういうものなのか、よく分かっていないのがいけないのかもしれない。想像だけだと、いくらでも悪い方に考えられてしまう。
タブレットでの作業もあまり捗らなくて、結果、私はただ縁側に座りぼんやりと庭を眺めている。こんなことなら、自分用の暇つぶしの道具も何か買っておけば良かった。なにかしら有れば、気も紛らわせられたかも知れないのに。時間の流れが酷く遅く感じる。
夕飯の支度でもしようかと考えたけれど、それにはあまりにも時間が早かった。どうしようもなく、ただ静かな庭を眺める。短刀たちの賑やかな声が響かない庭は久し振りで、酷く寂しく見えた。
*
蜂須賀たちが屋敷に帰還したのは夕刻だった。
屋敷の扉を開けた瞬間、奥から主の軽い足音が響いてきて蜂須賀は思わず口元を緩めた。
「おかえり!」
「ああ、ただいま」
蜂須賀が言うと、審神者は強張っていた表情を和らげた。そして改めて全員の無事を確認すると、大きく息を吐いた。
「主様!戻りました!撫でてください!」
「ボクもボクも〜」
「主君のご期待に沿えました」
短刀たちがわらわらと主の腰にまとわりつく。彼らはひとりとして傷を負わず、刀装を失う事もなかった。当然蜂須賀も和泉守もそれは同じで、初陣にしてはなかなかの戦果だと思えた。
「本当に無事で良かった。何か問題はなかった?」
短刀たちの頭を順番に撫でてやりながら、審神者は聞いてくる。
「特に何も無かったよ。順調そのものだ。宇都宮の辺りまで行けたからね」
「それ凄いじゃない。本当にお疲れ様。和泉守も、大丈夫だった?」
「あぁ、どうって事ねぇよ」
答える和泉守は思いの外協調性が有り、短刀たちとの息も合っていた。初陣だからか、終始機嫌の良かった彼はその力を十二分に発揮していた。
「それと主、土産だよ」
手にしていた刀を掲げ、主の小さな手に譲り渡す。宇都宮の戦場で拾ったその小ぶりな刀は、脇差だった。その刀をじっと見つめ、審神者は小さく呟いた。
「戦場で刀を拾う事が有るって言うのは本当だったんだ……」
「他にも少し資源を拾ったよ。各々の練度が上がる以外にも収穫が有るというのは、良いものだね」
審神者はその言葉に頷くと、受け取った刀を大事そうに抱えた。
「この子は後で呼び起こすね。まずはみんなお風呂に入って体を休めて。食事の用意をしておくから」
「はーい!」
元気よく駆け出す短刀たちを見送ってから、審神者はもう一度安堵のため息を零した。余程心配していたらしい己の主の頭を軽く撫でてやってから、蜂須賀も彼らに続いた。
*
食事の後に呼び起こしたその脇差は骨喰藤四郎だった。
五虎退達よりも少し大人びた姿の彼は落ち着いた性格の様で、ここでのルールや私の力の弱さの事を聞いてもあまり大きな反応はせず、静かに頷くだけだった。ひとまずは彼の部屋を決めて、今日は解散という形になった。
私の寝室である離れはみんなの部屋から距離が有るせいか夜は特に静かに感じる。何か考え事や、作業をしている時はその静けさが有り難いけれど、ふとした瞬間に何とも言えない寂しさを感じるの事実だった。
「主」
ぼんやりしていると、廊下から声をかけられた。蜂須賀だ。
入って良いよと返すと、彼はゆっくりと扉を開ける。蜂須賀は意味もなく私の寝室に来る事はしない。夜にこうして訪れる時は、何か相談や報告したい事が有ると言う事。
「どうしたの?」
「少し話をしておきたくてね」
言いながら腰を下ろした蜂須賀と向き合う。今日の初陣の内容――誰が何度誉を取っただとか、どんな敵がいただとか、そう言う報告は既にしてもらったから、何か別の話しておきたい事が有るらしい。
「無事出陣も終えられたが、今後はどうするつもりだい?毎日出陣した方が良いかな」
その事は私も考えていた。
審神者の基本的な仕事のひとつに、刀剣男士を出陣させるというのが有る。普通の審神者は彼らの中から数人を選び、ほぼ毎日出陣させているらしい。そうする事で刀剣男士たちの練度も上がるし、資源を拾う事も出来る。
けれど私は力の足りない審神者だ。出陣させる事で減った刀装の補填や、傷付いた彼らの手当てを毎日続けられるかどうか、正直まだ分からない。刀剣男士の数もまだあまり多くないから、毎日出陣させるとなると彼らも疲れてしまわないか心配だった。
「そうだね……」
つい考え込む私を蜂須賀は小さく笑みを浮かべながら見つめた。
蜂須賀は私に選択を急かす事をしない。私がちゃんと決めて結論を出せるまで待ってくれるし、悩んだ時はそれに付き合ってくれる。そうやって私の足りなさを受け入れてくれるのは正直とても、有り難い事だった。
「そんなに頻繁に行く必要は無いと思う。毎日行くにはもう少し戦力が揃ってからで良いんじゃないかな。政府は出陣ゼロでも今まで文句言ってこなかったし、そう言う意味でも問題は無いと思う。だから……三日に一度とか、四日に一度とか、そのくらいにしよう」
「分かった、そうしよう」
頷くと、蜂須賀は私の頭を軽く撫でた。大きな手の温もりに、つい心がほぐれる。
「蜂須賀も今日はお疲れ様」
「ああ。だが自分で刀を手にして戦うというのも、悪くはないね」
刀である彼らはこれまで人に使われる事は有っても、自分の意思で戦いに行くことは無かった筈。初めて人の身を得る感覚と言うのがどんなものなのか私には分からないけれど、彼らはすんなり受け入れて上手に扱っている様に見える。
「明日また鍛刀をしてみるよ。全部で七人になれば、出陣をしたとしても一人は屋敷に残れるから。その方が蜂須賀も安心出来る?」
「ああ、そうだね」
蜂須賀は立ち上がり、もう一度私の頭を撫でる。そろそろ寝た方が良いという合図だ。大人しく布団に入り、電気を消してくれる蜂須賀におやすみと伝える。それに答えた彼は、来た時と同じ様に静かに戸を閉める。
足音が遠のき、当たりはまた静かになる。そのままそっと瞼を下す。頭にはまだ蜂須賀の手の温もりが残っている気がして、寂しさは感じなかった。