和泉守を呼び起こした審神者が仕切るその本丸はまだ刀剣男士が少なく、どこかガランとしていた。とはいっても別に暗い空気が漂っている訳でもなく、庭では短刀が三人、薄い円盤の様なものを投げて遊んでいるし、正面の打刀ものんびりと茶を啜っている。どこか気の抜ける光景だった。



主であるはずの審神者は和泉守を呼び出した直後、蜂須賀と共にどこかへと消えた。それと代わる様に鍛冶部屋へやって来た五虎退によって、和泉守はこの屋敷を一通り案内された。五頭の虎を連れた小さな短刀はこの役を主様に頼まれたのだと、少し自慢げに語った。
屋敷の案内を終えると、今度はこの本丸での決まり事を三つ、言い聞かされた。
ひとつは「少しでも体調が悪くなったり、どこかが痛んだり、妙な事が有ったらすぐに審神者に報告する事」
これは審神者が特に強く言っている事らしく、説明する五虎退も大事な事ですと何度も繰り返していた。そう言えば、自分を呼び出した直後、あの審神者は体の調子は大丈夫かと不安げな顔をして聞いてきた。心配性な人間なのだろうか。見た感じ、頼り気の無い小娘だったから当然な事なのかもしれないが。
もうひとつは「道場での手合せで真剣の使用は絶対禁止」
万が一手合せで怪我を追い、主君の手を煩わせてはなりませんと、真面目な顔立ちの短刀、前田が言っていた。てっきり短刀にのみ言い聞かされている事かと思ったら、蜂須賀も同様らしい。そして太刀である自分もそれに含まれると聞かされ和泉守は何の冗談だと鼻で笑ったが、これは絶対なのですと、前田は強く調で言い切った。その顔があまりにも真剣なので、和泉守はただ頷くほか無かった。
そして最後は「審神者の私室である離れに入って良いのは近侍のみ」
これは審神者ではなく、蜂須賀が強く言っている事らしい。破ったらきっと物凄く怒られるよと、娘の格好をした乱が言う。近侍は初期刀である蜂須賀がずっと務めているらしいので、つまりあの打刀は自分以外の存在が主の私室に入る事を禁じているという事だ。意外と独占欲が強いんだなと思いつつ、一先ず全ての決まり事を了解したと告げた。

一通りの説明を終えると、短刀たちは三人揃って庭へと駆け出して遊び出した。
それを眺めていると、茶を片手にどこからか戻ってきた蜂須賀が声をかけた。
「やぁ、調子はどうだい」
「どうもこうもねぇよ」
「そうかい。それは良かった」
和泉守の隣に座ると、蜂須賀は茶を啜った。和泉守の分の茶は用意されていないらしい。
「なぁ、あんた初期刀なんだろ?呼び出されてどのくらい経つ」
短刀たちに聞きそびれていた事だった。
「三週間が過ぎたあたりかな」
「それだけ経ってこれだけしか刀がいないのか?」
思わず聞き返すと、蜂須賀はさも当然の事の様に頷いた。和泉守としては、それはあまりにも妙な事に思えた。審神者とは刀を呼び出し、戦いに行かせることが何よりも大切な役目ではないのか。
「我が主はちょっと特別でね。出陣もまだした事が無いよ」
「はぁ?まだ一度も出陣が無い?」
つい強い口調になった和泉守に対し、蜂須賀はただ肩をすくめただけだった。
「俺達は戦うのが仕事だろ」
「そうだね。だが言ったように、主は特別なんだ。五虎退が言っていなかったかい?彼女はあまり、力が強くはない」
そう言えばそんな事も言っていた気がする。主様は力が強くはないのです、と。
「あれは女だからって意味じゃないのか?」
「あぁ……まぁそれも間違いではないが、でも違う。主は審神者としての力が強い方ではなくてね。俺達を呼び起こすのも、刀装を作るのにも、体力を消耗する。初めの頃に比べたら随分と慣れてきたけどね」
「……じゃあ今あいつは」
「部屋で休んでいるよ。太刀である君を呼ぶのは、やはり大変だった様だ」
自分を呼び起こした直後に姿を消したのはそう言う事だったかと合点がいった。
「出陣を控えているのも同じ理由だ。俺達が傷付いた時、それを治すのは彼女だからね。まだ試した事が無いから実際どの程度力を使うか分からないが、主は慎重でね。危険な橋は渡りたがらない」
「傷付いた刀を治せないのは困る、って事か」
頷いた蜂須賀は再び茶に口を付けてから続けた。
「きみは戦いを好む性分の様だから納得のいかない事も有るとは思うが、受け入れてほしい。主に無理をさせるような事は、俺も、あの短刀たちも避けたい」
真っ直ぐと見つめられ、和泉守はただ頷いた。まだまともに会話もしていないが、自分としても、主である人間を追い詰める事をよしとする趣味は無い。
「だが、太刀であるきみも来た事だし、そろそろ頃合いかもしれないね……」
ぽつりと蜂須賀が零すのとほぼ同時に、庭で遊んでいた短刀が声を上げた。
「主様!」
彼らが見つめる先には、朱色の袴を身にまとった娘が立っていた。



「呼び起こしておいてさっさとその場を離れてごめんね、和泉守」
広間に戻ってきた小柄な主に頭を下げられ、和泉守は狼狽えながら立ち上がった。同じ様に立ち上がった蜂須賀が審神者の肩に手を置く。
「もう良いのかい?」
「うん、大丈夫そう」
「太刀を呼び起こしたのに半刻の休息で十分とは、俺の主は随分と逞しくなったね」
冗談の様に言うと、蜂須賀は審神者の背後へと回った。これが近侍としての彼の立ち位置なのだと、和泉守は直感的に理解した。
「改めて、色々足りない主だけど、これからよろしくね和泉守」
差し出された手を握り返す。小柄な主はその手も小さく、少しでも力を入れたら壊れてしまうのではと、柄にもなく考えた。
「ああ、よろしくな」
答えると、審神者は安堵の笑みを浮かべた。
「あ、和泉守はもう自分の部屋決めた?」
「ああ」
「それなら良かった。部屋は好きに使ってくれて良いよ。壊したりしなければ」
広間に並べられた机の前に座ると、審神者は持っていた薄い板を置いた。何やら小さい字が並べられたそれを横目に見つつ、和泉守も腰を下ろす。
「主君、お茶をどうぞ」
「あ、前田ありがとう」
「和泉守さんもどうぞ」
人数分の茶を用意してきた前田に軽く礼をし、和泉守は改めて自分の主を観察した。女らしく線が細く、小さい。審神者自身が刀を振るう事はしないので、体格に拘る必要性は無いがどうにも頼りなく思えてしまう。その上審神者としての力も強くないとなれば、彼女の斜め後ろに座る蜂須賀が過保護気味になるのもおかしくはないのかもしれない。
「大体の事はみんなから聞いたと思うけど、基本的には自由に過ごしてくれて良いよ。人も物も少ないから退屈かもしれないけど」
苦笑気味に言う審神者に頷く。主である以上彼女の言葉には従うつもりだし、無理をさせるつもりもない。戦いが無いのは確かに退屈だが、のんびり過ごすのもたまには良いかもしれない。そう考えつつふと審神者の奥を見ると、そこに座る蜂須賀が至極真面目な顔で口を開いた。
「主、ひとつ良いかな」
「ん?」
「そろそろ出陣をしてみたらどうだろうか」
単刀直入なその言葉に審神者は僅かに目を見開いた。対する和泉守もその言葉に驚いていた。先程出陣はしないと言ったばかりの蜂須賀は、真面目な表情を崩さず続けた。
「主の心配も分かるが、刀装も資源も十分な蓄えが既に有るだろう?和泉守が来て五人になった事だし、これなら色々な陣形も試せる。頃合いではないかな」
言いながら、蜂須賀は主の頭に手を置いた。そのまま髪を撫で、彼女の顔色を窺う。
されるがままの審神者は暫し考えると、大きく息を吸ってから答えた。
「そうだね……やっぱりみんなは、戦いたい?」
蜂須賀と、その向こうに座る短刀三人を見遣る。無言のまま自分を真っ直ぐ見つめる彼らの反応を確かめてから、審神者は和泉守へを向き直った。
「あなたは?戦いたい?」
「そりゃあ刀だからな。刀は使われないとすぐ錆びる」
素直に答えると、審神者は思いの外あっさりと頷いた。
「うん…そうだね、じゃあ、出陣も考えてみよう」
「ああ、そうしてくれ。もちろん主の体調を見つつになるけれどね」
もう一度審神者の頭を撫でると、蜂須賀は微笑んだ。先程自分に向けられていた表情とは全く違うそれに、和泉守は少し居心地が悪くなる。

審神者は手元の板を指でなぞりながら、どこか独り言の様に呟く。
「一応戦域の情報は見てるんだけど、でもやっぱりちょっと不安も有るよね……私が事前に行って様子を見られたら良いんだけど」
「そんな事は許さないよ、主」
ギョッとするような審神者の言葉に、蜂須賀の鋭い声が続いた。殺気さえも感じるそれを、しかし審神者はやんわりと受け入れて分かってるよと笑った。忙しく指先を動かしながら、あれやこれやとぶつぶつ続ける。
「五虎退達は刀装ひとつしか着けられないもんね…歩兵よりも弓の方が良いかな。弓なら結構沢山溜まったし。蜂須賀はふたつ着けられるから…ひとつは盾と、もうひとつは投石にしようか。先制攻撃で出来るだけ相手にダメージ与えた方が良いよね。和泉守は重騎ふたつにしよう。うん、これで良いかな。ひとまずはこれで試してみて、何か問題が有ったら変えるって感じで。馬はまだ一頭しかいないから、取り敢えず蜂須賀に任せるね。陣形は相手の出方次第みたいだから、まずは索敵を頑張ってもらって、それで分かったら有利なのを選んでね。お願いね」
「ああ、分かったよ」
正面に座る和泉守を半ば置き去りにして、審神者は蜂須賀と打ち合わせを続ける。
短刀たちは刀装の確認や馬の世話をしに広間を出て行っていた。和泉守は退出する機会を微妙に逃し、だからと言って彼らの作戦会議に首を突っ込む事もなかなか出来ず、茶を啜りながら二人の会話を聞いていた。
出陣した事が無いという割には、審神者は戦の作法をある程度は心得ているようだった。情報が詰まっているらしいあの薄い板を元に学んだのだろうか。だがやはり不安は有る様で、同じ事を何度も蜂須賀に確認していた。
蜂須賀はそれにひとつひとつ丁寧に答えながら、時折彼女の頭に手を乗せ宥める様に撫でている。
「うん……大体こんなものかな。後はいつにするかって事かな…」
「明日で良いんじゃねぇか」
ぼんやりと零した審神者の言葉にそう返すと、彼女は僅かに驚いたような素振りを見せ、けれどそれをすぐに仕舞い込み頷いた。
「そうだね。先延ばしにしても仕方ないもんね」
よし、と気合を入れて立ち上がると、審神者は手に持った薄い板を軽く叩いて言った。
「じゃあ明日、よろしくね。私も出来る限りのサポートはするから」
「ああ、期待に応えよう」
「任せとけ」
蜂須賀と共に立ち上がり、小さな主に応える。初期刀でもないのに初陣に参加できるというのは、なかなかに心躍るものだった。