三
本丸は結界によって外敵から守られるだけじゃなく、一年中気候も安定しているらしい。四季は維持されるし、時々雨も降るけれど、台風の様な大荒れの天気にはならないらしい。のんびりと暮らすにはもってこいの空間だ。
緑の多い庭を抜けると、そこには小さな畑が有る。ここも不思議で、種を植えると五日から十日程度で収穫出来てしまう。しかも季節に関係なく、どんな種類の野菜も育てられる。トマトと大根とジャガイモが並ぶ不思議な光景を見ながら、次は何を育てようかと考える。
「ねぇねぇ!ボクかぼちゃが食べたい!」
軽い衝撃と共に、腰に乱が纏わりついてきた。二度目の鍛刀で呼び出したこの子は、女の子の格好をしている。
初めて見た時、まさか自分の力が不足しているせいで本来とは違う姿形で呼び出してしまったのかと慌てたけれど、別にそんな事は無く、単純に好きで女の子の格好をしているらしい。実際どこからどう見ても女の子と言える可愛さなので、全く違和感は無い。
走った事で少し乱れた髪を直してやりながら考える。
「かぼちゃかぁ…煮物とか、好き?」
「食べてみたい!」
「ぼ、僕も、かぼちゃ食べたいです…!」
遅れて来た五虎退も続ける。五頭の虎も足元を転がる様に走っている。
呼び出した直後に倒れてしまった事で、五虎退には物凄く心配をかけてしまった。目を覚ましてから会いに行くと彼は号泣しながら抱き着いてきた。自分のせいで私が倒れたと勘違いしてしまっていたので、その誤解を解くのには少し苦労したけれど、今はこの子も私の不出来さをきちんと理解している。三回目の鍛刀をする時など、私が倒れている間に新入りに屋敷の案内と私の立場の説明も全てしてくれていた。
「前田は?何か食べたいものは有る?」
その三回目の鍛刀で呼び出した前田は二人よりも少しだけ大人びている。遠慮がちに首を振ると、私が持っていたスコップを預かってくれる。
「納屋にしまって参ります」
「うん、ありがと」
前田は私を主君と呼び、色々世話も焼いてくれる。そんな気を遣わなくて良いんだよと一度言ってみたけれど、これが自分の仕事だからとやんわり断られてしまった。その事を蜂須賀に言ってみると、性分なんだよの一言で片づけられた。
けれど確かに、前田は好きで私の世話を焼いてくれているように見える。無理をしている様子は今のところ見当たらないので、それに甘えさせてもらっている。
少しだけ人の増えたこの屋敷ではのんびりと時が流れる。
朝起きて、食事を作り、掃除をして、畑の様子を見て、そして幾つか、疲れない程度に刀装を作る。その繰り返しの日々。
時々道場で手合せをしながら、刀剣男士たちも同じ様にのんびりと過ごしている。ここには遊び道具も時間を潰すアイテムも何も無かったので、私は短刀用にフリスビーとバドミントンと縄跳びを、蜂須賀用に囲碁と生け花用の道具と茶器一式を買った。彼らはそれを自由に使いながら、日々を過ごしている。
出陣は一度もしていない。
支給されたタブレットを使って、週に一度、政府に状況を報告する事になっているけれど、出陣ゼロである事に対して彼らは何も言ってこない。「あなた達に期待はしていない」と言うあの言葉はどうやら本当だったらしい。本丸の維持さえしていれば文句を言われないと言うのは、気楽ではあるけれど思っていた以上に落ち着かない状況でもあった。
気楽だからと言ってぼんやりしている訳にもいかないので、タブレットでの情報収集は毎日やっている。鍛刀や刀装のレシピ、どの戦域にどの程度強い敵がいるかという情報が全ての審神者から寄せられ、その閲覧が可能になっている。審神者としての力が乏しい以上、知識くらいはある程度付けておきたかった。その方が自分も、彼らも安心できる気がした。
「難しい顔をしているね」
台所でタブレット相手に睨めっこしていると、蜂須賀が声をかけてきた。とても普段着とは思えない煌びやかな着物を身に着けた彼は、台所に立つ事はあまり無い。精々お茶を飲むためにお湯を沸かす、その程度だ。どうやら料理をするのは好きではないらしい。手が汚れるのが嫌だと、苦々しい顔をして言われた。
蜂須賀は畑仕事も馬の世話も露骨に嫌がる。虎徹の真刀である事に強いプライドを持っている彼はその手の汚れ仕事も不服に感じるらしい。
私としてはやりたくない事を無理強いするつもりはないし、幸い今は畑も最小限のものしか育てていないし馬も一頭しかいないので、短刀の子達と一緒にやれば問題無く済ませられる。今後規模が大きくなったらそうも言っていられなくなるかもしれないけれど、その時の事はその時考えれば良い。
蜂須賀は私の隣まで来ると、タブレットを覗き込んだ。
「これは何だい」
「料理のレシピ……献立が載ってるの。何作れば良いかなと思って」
「それでどうしてあんな険しい顔を?」
正直、料理はあまり得意ではない。嫌いと言う程ではないけれど、不慣れなのは事実だった。ひとり暮らしはしていたけれど、ちゃんと料理と呼べる程の物は作っていなかった。ひとりで作ってひとりで食べるのが何だか物悲しく思えて、便利なレトルトやコンビニ弁当に頼っていた。そんな生活から突然自炊生活になるのはちょっとハードルが高い。タブレットでは普通にネットも見られるから、そこで比較的簡単な和食のレシピを探して作っている。短刀達は素直に喜んでくれるから、それは凄く嬉しい。けれど三週間ほど経つと、そろそろ私でも作れるレシピと言うのにも限界が出てくる。
「こんな事ならもっとちゃんとお母さんに習っておけばよかった…」
今更ぼやいた所でどうにもならない。大体を察したらしい蜂須賀が肩を軽く叩く。
「まぁ、頑張って」
手伝ってはくれないらしい。分かっていた事だけれど。
実際は、政府経由の通販でレトルトやインスタント食品を買う事は出来る。出来るけれど、刀剣男士の彼らにそんなものを食べさせるのは申し訳ない気がして出来ないでいる。もしかしたら物珍しさから喜んで食べるかもしれないけれど、戦国の世で生きてきた彼らがカップラーメンを食べる姿はあまり見たくない気がする。
彼らに馴染みのある料理となると、やはり和食だろうという事でそればかり作って来たけれど、そろそろ厳しくなってきた。
「簡単で沢山作れるのはやっぱりカレーとかだと思うんだけどね…」
「カレー?」
「外国の料理を日本人の口に合う様に手を加えた、煮込み料理だよ」
「へぇ」
「皆の口に合うか分からないじゃない?スパイス……香辛料もいっぱい入ってるし」
「どんなものか分からないけど、試しに作ってみたらどうだい?」
「一か八かって感じだね…」
確かに一先ず作ってみるのも手かも知れない。審神者通販でカレールーと鶏肉を購入した。数時間で届くそれと、畑で育った野菜で作るカレーが今日の夕飯に決定した。
「それじゃあ時間まで、刀装作り手伝ってくれない?」
「仰せのままに」
結果として、カレーは物凄く好評だった
。 短刀たちは喜んでお代わりもしたし、蜂須賀も気に入った様だった。和食しか口に合わないという私の心配はただの杞憂だったらしい。古の刀の付喪神は洋食もいけるクチだった。
お陰で、私の料理生活も少し救われた。洋食が大丈夫と言う事は、レシピが一気に増える。レシピサイトの中から、作りやすく、彼らが好みそうなものをいくつかピックアップしておこう。
「主、少し良いかな」
現れたのは背の高い影。蜂須賀は私の部屋に入る時、必ずしっかりと了承を求める。
「うん、大丈夫だよ」
言うと、ゆっくりと扉が開けられる。あの煌びやかな着物姿の蜂須賀は布団に座り込んで作業をする私の正面に座った。
「もう寝るところだったかな」
「ううん、まだ少し起きてるつもりだったから大丈夫だよ」
五虎退を呼び寄せた少し後、私達はここでの生活のルールをいくつか決めた。その中のひとつに「私の私室に入って良いのは近侍のみ」と言うのが有る。これを強く訴えたのは蜂須賀だった。彼が言うには、女人の寝室に男がのこのこ踏み込むのは以ての外らしい。確かに夜中に入り込まれたら困るけれど、別に昼間なら構わないという私の意見は殆ど無視され、このルールは決定事項となった。近侍が例外なのは、何かあった時に傍に居れる様にと言う事らしい。私がここに来てからずっと、近侍は蜂須賀だ。つまりこの部屋には蜂須賀以外の刀剣男士が入った事は無い。
「どうしたの?」
「主にひとつ、提案があってね」
真剣な顔でそう言う蜂須賀に釣られて、私も姿勢を正す。
「そろそろ、短刀以外を呼び出してはどうだい」
真っ直ぐにこちらを見つめながら、蜂須賀は言った。短刀以外を呼び出す。確かにそろそろ、そう提案されてもおかしくないと思ってはいた。
「主も鍛刀に慣れてきただろう?前田を呼び出した時は、四半刻も経たずに目を覚ましたじゃないか」
蜂須賀の言う通り、五虎退を呼び出した時は二時間も気を失っていたのに、三人目の前田の時は二十分程度で済んだ。大した進歩だねと、その時も蜂須賀は言っていた。
今まで鍛刀は週に一度、最低値でしか行っていなかった。だから当然生まれるのは短刀の子達だけ。私の力が足りない以上、無理に大物を狙ったレシピを試すのは得策じゃないと、蜂須賀と話し合った結果だった。ただ気を失う以上に酷い事態になる事も否定出来なかったから、私に何かあってからでは遅いと出会って間も無い頃の蜂須賀は言った。
「それに刀装作りも手慣れてきただろう?」
刀装。刀剣男士が持つ事で力を発揮する、不思議な珠。それを作るのも審神者の仕事で、蜂須賀と共に初めて作ってみた時はたったひとつで息切れを起こして驚いた。私はどれだけポンコツなのかとガッカリしたけれど、その作業にも最近は慣れてきた。一気に大量に作らない限りは、体調に変化は起きない。
「そう…だよね……うん、そろそろ大丈夫かな…」
ぼんやりと呟くと、蜂須賀は眉尻を下げて苦笑した。
「不安かい?」
「少し……」
「だろうね」
蜂須賀はそのまま半身を寄せ、私の頭を撫でた。蜂須賀はたまにこうして私を甘やかす。彼がどう思っているのかは分からないけれど、この大きな手に触れられると不思議と安心できて、こうされるのは嫌いではなかった。
「うん……じゃあ明日、やってみる。いつもと違うレシピで鍛刀。太刀も狙えるのが良いかな」
「そうだね。五虎退達はもう寝ているから、明日の朝伝えよう。主も早く休むと良い」
「分かった」
立ち上がった蜂須賀は部屋の電気のスイッチに手をかける。私が布団にもぐりこんだのを確認してから、それを押した。
「おやすみ、主」
「おやすみなさい、蜂須賀」
暗闇の中でそう交わして、去っていく蜂須賀のかすかな足音を聞きながら、眠りについた。