「こちらでございます!」
尻尾を左右に振りながら案内する狐の式神に続き、門をくぐる。今日からここが私の家。


刀剣男士たちに合わせてか、本丸と呼ばれる屋敷は随分と古風な造りをしている。その割にお風呂や台所はちゃんと現代風のシステムになっていて、少しアンバランスだけれどホッとした。火起こしからやれと言われたら眩暈がしそうだ。
広い庭の向こうには道場の様な建物も有る。その隣には厩、もっと向こうには畑も見える。この本丸は不思議な空間で、外敵を完全に排除できる結界が有る上、やろうと思えば完全自給自足生活も可能らしい。そう、狐の式神――こんのすけはふりふり動きながら説明した。
鍛刀などに使う資源や日々必要な食材、審神者の日用品などは全て政府経由で買える様にもなっている。支給されたタブレットで注文すれば、数時間でなんでも届くらしい。どういう技術なのかよく分からないけれど、ひとまず生活で困る事は無さそうなのは有り難い。

一番に案内されたのは、審神者にとって大切な仕事である鍛刀をする鍛冶部屋。奥には火が焚かれていて、手前にある石で作られた台の上には三十センチほどの小さな人型がふたつ、行儀よく座っていた。
「へぇ……」
鍛刀は専門の式神が行ってくれる。この小さな彼らも、審神者の力によって維持される存在らしい。審神者としての力が大きくなれば、彼らの数を増やす事も可能だと、こんのすけは言った。
「まずは鍛刀を行ってみましょう!」
元気なこんのすけに促されるまま、部屋の隅に置かれた資源の山からそれぞれ少量を掴みとる。木炭と玉鋼と冷却材、そして砥石。これがあれば、付喪神の宿った刀剣を作り出す事が出来る。
式神のひとりの足下に資源を置いて、その小さな頭を軽く撫でる。
「よろしくね」
大きく頷いた式神は資源を軽々と持ち上げて燃え盛る火の中に放り込んだ。瞬間、壁の上部に設置されていたスクリーンに数字が表示される。
「二十分……」
事前に渡された情報の中にはそれぞれの刀剣を作り上げるのにかかる時間も含まれていた。一番短いのが二十分。つまりこれから生まれるのは短刀と言う事だ。
「おめでとうございます!後は出来上がるのを待つだけです。その間屋敷を見て回ってはいかがですか!」 こんのすけはそう言うと、不意にその姿を消した。
政府が管理するこの式神はそれぞれの審神者のサポート要員らしい。必要な時は声をかければすぐにやって来るけれど、用が無くなればすぐに消える。燃え盛る炎のお陰で少し熱いこの部屋に、蜂須賀と共に残された。
「えーっと、それじゃあ屋敷を見て回ろうか」
「そうだね」
一生懸命刀を打つ式神と、その横でぼんやり座るもう一人の式神に軽く手を振り、その部屋を後にした。



屋敷は想像以上に広かった。
四十以上の刀剣男士と共に生活する事を前提に造られているから当然の事なのかもしれないけれど、これから生まれる短刀を含めても三人しかいないこの状況だとどう考えても部屋を持てあましてしまう。
一番広い部屋からは小さな池のある庭が見える。綺麗に整えられているとは言い難いけれど、緑が多いのは嫌いじゃない。審神者は本丸の庭に手を加える事も可能らしく、政府経由の通販で樹木や花の種なども買える。落ち着いたら、色々植えてみたい。後ろに続く蜂須賀がどんな花を好むのか、その内確かめておかないと。

「一先ずはそれぞれの寝室を決めないとだね……まぁ部屋はいっぱい有るし、好きなの使って良いよ」
一通り見て回ってから言うと、蜂須賀は少し考える素振りを見せてから答えた。
「俺はどこでも構わないよ。小部屋はどれも大きな差は無いようだし。ただ主は、あそこの離れを使うと良い」
「離れ?」
蜂須賀の視線を追って見付けたそこには彼の言う通り、今いる屋敷と渡り廊下の様なもので繋がった小さな離れが有った。あの中も一通り見たけれど、部屋の奥にはトイレとお風呂もしっかり有ったので、確かに寝室にはぴったりかもしれない。
けれどわざわざ敷地の最奥に有るあの部屋を寝室にする事も無いような気がして考え込んでいると、頭上から声が降ってきた。
「主は女人だろう?男である俺達と同じ空間で寝起きするのは、あまり褒められた事ではないと思うよ」
当たり前の事の様に言われて、思わず目をむくと蜂須賀は呆れたように息を吐いた。なんだろう、気遣われると同時に呆れられるというのも変な感じだ。
けれど確かに、蜂須賀の言う事も尤もなので、大人しく受け入れる。
「そうだね、じゃあ私はあそこを寝室に使う。蜂須賀はどこにするか決めた?」
「それじゃあ俺はこの部屋かな」
蜂須賀が言ったのは、一番隅の角部屋だった。他にも選り取り見取りの状況でなにもこんな隅っこの部屋を選ばなくても…と思いつつ見上げると、彼はまた当然の事を説明する口ぶりで続けた。
「この部屋が主の部屋と一番近いだろう。何か有った時、すぐ対応出来る」
「何かって……一応ここは安全な空間の筈だけど」
「そうは言っても、何が起きるかは分からないだろう?」
「そう…かなぁ…」
「警戒するのも刀の性分と言うものだ。諦めてくれ」
そう言われてしまっては、反論も出来ない。それに確かに、蜂須賀が傍にいるというのは安心感もある。己の刀を携えた彼は、きっと武人らしく強い。そんな彼に守ってもらえるというのは有り難い事だ。
「じゃあ部屋はそう言う事で決まりね。細かい事は追々決めるとして、まずは鍛冶部屋に戻ろう」
そろそろ二十分が過ぎたころだった。私の記念すべき初鍛刀の結果を確かめに行く。



*


「虎……」

真っ先に目に入ったらしいそれを、蜂須賀の主はぼんやりと呟いた。どうにも気の抜ける反応だが、どうやらこの娘はそう言う性分らしい。屋敷を見て回る間も、どこかのんびりとした反応が多かった。
「あ、あの、僕は五虎退です、あの……よろしくお願いします…」

対する短刀、彼女の手によって呼び出されたばかりの五虎退は不安げな瞳で彼女と蜂須賀を見上げた。これもこれで、こう言う性分なのだろう。虎を抱えたその腕に緊張による力が入ったのが見て取れた。
「あ、うん。よろしくね、五虎退。私があなたの主になります」

足下に纏わりつく四頭の虎から意識を引き離した主が、気を取り直してから挨拶する。腰を屈め、そのまま五虎退の白い頭を優しく撫でる。直前、一瞬体を強張らせた五虎退は、けれどすぐにその緊張を解いて安堵したように微笑んだ。彼女は五虎退の抱える小さな虎の顎も撫で、満足げに頷いた。
そのまま膝をついて、鍛刀をした小さな式神の頭まで撫でてから、彼女は立ち上がる。瞬間、その細い足がぐらりともつれた。
「主!」
咄嗟に伸ばした腕にその小さな体が寄りかかる。彼女は虚ろな目をして、ぼんやりと呟く。
「あれ…おかしいな……」
言うとそのまま、瞼を閉じ、その体を全て蜂須賀に預けた。気を失っていた。
「あ、主様!」
狼狽えた五虎退の悲鳴が響く。蜂須賀は己の主を抱きかかえると、先程決まったばかりの彼女の寝室へと急いだ。



「それで、一体これはどう言う事かな」

布団を敷き、彼女を寝かせ、呼び出したこんのすけに問う。
厳しい目を向けたためか、狐は耳と尾を情けなく垂らして答えた。

「鍛刀を終え、刀剣男士を呼び出した事で一気に体力を消耗したのです」

それから狐の式神は蜂須賀の主について簡単な説明を続けた。
審神者の力が弱い事、にも拘らず審神者として選ばれた理由、政府は彼女に対して期待をしていない事。
ここでようやく、蜂須賀は主が自分の事を「不出来な主」と称した理由を理解した。てっきりただの謙遜かと思っていたが、まさか言葉通りのものだったとは。

「鍛刀をする度にこうなるのか」

狼狽え、泣きだした五虎退は広間で待機させている。正直、短刀ひとり呼び寄せただけで気を失われては適わない。
「今はまだ力も弱く、不慣れですが、これから力をつけていけば問題は無くなるはずです」
「力はどう鍛えるんだ」
「審神者としての仕事を続ける事。そして、あなた方刀剣男士と共に過ごす事です。そうする事であなた方の神気がこの方にも馴染み、それが審神者としての力を大きくする事にも繋がります」

つまり、時が解決するという事らしい。
問題はその時間がどれほど必要なのかという事だが、それに関してはこんのすけも分からないらしく、項垂れた。
分からない以上、蜂須賀にはどうする事も出来ない。一先ず今蜂須賀に出来る事と言えば、主が目覚めるまでただ待機する、それだけだった。



審神者に動きが有ったのは、彼女が気を失ってから一刻程過ぎた頃だった。
「ん……」
吐息と共に体を僅かに動かし、そしてゆっくりと瞼を開いた。
「やぁ主。お目覚めかな」
言うと、彼女はぼんやりと蜂須賀を見つめた。暫しの間の後、現状を理解したらしい彼女は目を見開いてから盛大なため息を吐いた。 「あー…………ほんと、ごめん」
目を擦りながら、彼女は体を起こした。背中に手を添えそれを手伝ってやりながら、乱れた髪を整えてやる。まだ疲れが残っているのか、彼女はされるがまま、蜂須賀に身を預けた。
「えーっと……どこまで知ってる?」
「大体の事はこんのすけに聞いたよ」
「そっかぁ……でも倒れるとは思わなかったなぁ…。どんだけポンコツなのよ」
忌々し気に言うと、彼女はもう一度大きなため息を吐く。
「でも蜂須賀を呼んだ時は平気だったのに…」
「ああ、それも聞いたよ。あの空間は政府が管理する特殊な物なんだろう?審神者である君に負担がかからない様、施されていたらしい」
「そんな説明聞いて無いよぉ」
情けなく零すその様に、思わず笑いかける。軽く背中を撫でてやる。抱きかかえた時も感じたが、審神者は随分と細く小さい。女人に直接触れる機会が無かったため、彼女が特別なのかどうかは分からないが、少なくとも刀である蜂須賀を扱っていた男たちとは明らかに違う作りをしている。改めて、新たな主の存在の脆さを認識した。
「本当にごめんね、こんな主で」
繰り返し謝る主の頭に手を乗せると、彼女は酷く驚いたように目を見張った。彼女自身五虎退に同じ様な事をしていたのに、自分がされるとは考えてもいなかったらしい。
「確かに不自由さは有るが、けれど気にする事は無い。こんのすけも言っていたが、要は慣れなんだろう?ならば共に頑張っていけば良いだけだ。違うかい、主」
言うと、主は安堵したように頷いた。自分を不出来と称するのが今の主である以上、蜂須賀も彼女と共に歩むと腹を括った。能力には少々不安は有るが、幸い、人間としての彼女は好ましく思えた。自分の力量不足をしっかり認められる人間は嫌いではない。
「あ、五虎退は?呼んだばかりなのに可哀そうな事しちゃった」
「広間で待機させてるよ。体調がもう大丈夫なら会いに行ってやると良い。心配していたから」
「そうだね」
立ち上がり、身なりを軽く整える彼女の足に不安定さはもう感じられない。背中に添えていた手を離し、代わりに扉を開けてやる。
夕日の眩しさに目を細めた主と共に、蜂須賀は広間へと向かった。