君を愛す
重い。
カーテンの隙間から漏れる朝の光の眩しさよりも先にアキラが感じたのは、その温かくも少し息苦しい重さだった。
未だ霞む視界が真っ先に捉えたのは僅かに波打つ黒髪。その先が頬をかすめ、くすぐったさが生まれる。のける為身じろぎしようとしたアキラをその重さは阻んだ。
アキラの腰におかれたヨウスケの腕。ただそれだけなのに、華奢なアキラの動きを制限するには十分だった。
その重り自体をどかす事は出来ないかと考え、そっと押してみる。だが案の定、びくともしない。ヨウスケとアキラは体格差が大きい上、デスクワーク中心のアキラは腕力が有るとはとても言えない。必死に暴れれば抜け出す事も不可能ではないが、そんな事をしてしまっては未だに穏やかな寝息をたてる彼を起こしてしまう。それは避けたかった。
僅かな息苦しさとくすぐったさは我慢するしかないと諦め、乱れた前髪に隠れた寝顔を覗き見る。
普段よりも幼く思えるその顔を見ていると、心の奥が解れていく。
戦いが終わったとは言えアキラの日常は未だ多忙を極めている。ひたすら書類の処理に追われる日々。徹夜に及ぶことも珍しくなく、見かねた甘粕が三日間の休暇を取り付けてきてくれたのは二週間前の事だった。
その一日目の朝をこうして迎えられたというのはアキラにとっても嬉しい事だった。朝目覚めて最初に見るものがヨウスケの姿と言う事は、何度経験してもやはり心が満たされる。
前髪の乱れを直してやろうと指を伸ばす。少し硬く、ごわついた黒髪。なにかしらのヘアケアをしているとは思えないヨウスケの髪は、リュウキュウの潮風も手伝ってかあまり健康的とは言えない。だがこの硬さがアキラにとっては心地の良いものだった。細く、頼り気の無い自分の髪とは明らかに違うこの質感が、かつては酷く新鮮でもあった。
「ん……」
吐息とも取れる小さな声が漏れる。
起こしてしまったかとアキラが慌てるよりも早く、ヨウスケの腕がその細い腰を絡め取った。そのまま引き寄せられ、素肌の鎖骨が額に触れる。頬どころか顔全体に熱が生まれた事を自覚したアキラの体が強張る。
ラフなパンツを穿いてはいるが、それだけだった。今アキラの視界が捉えているヨウスケは年の割にしっかりと鍛えられた体をそのままに晒している。その事実を今更ながらに思い出し、アキラは遅れてきた羞恥に襲われる。
半ば寝ぼけていたままだった意識がはっきりとし、その結果、アキラは今の自分たちの状況をようやく認識した。その途端、昨夜の事や、耳に妙に残るヨウスケの声が思い出され、そしてTシャツ一枚の自分の素足に絡む逞しい足の感覚が明瞭に得られた。
これが初めてと言う訳ではない。それなのに、アキラはいつも酷い恥ずかしさに襲われる。
いつだったかヒジリにあまりにも初心すぎると呆れ半分に言われた事が有るが、これはあくまで自分自身の性質であり、経験の豊富さとは全く関係の無いものだとアキラは結論付けている。
いつまで経っても慣れない。逃げ出してしまいたくなるような恥ずかしさに襲われる。なのに、どこかそれを居心地が良いとも感じている。だがその不思議な感覚に完全に体を委ねてしまうと言うのは今のアキラにはまだ出来ない事だった。
仕方なく、ただ目をきつく瞑りながら心が落ち着くのを待つ。本当は深呼吸をしたいけれど、そんな事をしてしまってはヨウスケのその香りがより強く感じられてしまい、落ち着くどころではなくなってしまうとアキラは過去の経験から知っている。
だからただやり過ごすしかない。絡む足の感覚も、縛る腕の熱も、耳を掠める寝息も、全て受け流す。そうして、ただ時間が流れるのを待つしかない。
「アキラ……?」
アキラには酷く長く感じられた数分の後、掠れた声が頭上からかけられた。そっと視線を上げると、ぼんやりと視点の定まっていない青い瞳が見える。
「おはよう、ヨウスケくん」
「……あぁ」
言いながら、ヨウスケはアキラをとらえる腕に力を入れる。より一層体が密着し、緩みかけていた緊張に再び襲われて固まるアキラを抱きしめる。
「おはよう」
「っ……」
先程と同じ様に掠れた、けれど明らかに意識を得た言葉が耳元で響き、アキラは思わず息を詰める。そんな彼女の反応を見て、満足げに緩く微笑んでからヨウスケは半身を起こした。
「もうこんな時間か……」
時計を見ながら言うヨウスケに続き、アキラも身を起こす。だが恥ずかしさは未だ消えぬままで、彼の顔を見る事は出来ない。頬を染めてシーツを見つめるアキラの頭を柔らかく撫で、ヨウスケは今一度笑みを浮かべる。普段の日常では見る事の出来ないアキラのこの姿を自分だけが知っているという事は、ヨウスケにとって心地の良い事実だった。自分にこんな独占欲が有るという事に、ヨウスケはアキラを好きになる事で気付いた。
手を頭から頬へ流し、恥ずかしさを隠しきれていないその顔を自分の方へと向かせる。アキラが驚きで目を見張るよりも先にその唇を奪う。アキラの体が一瞬震えた事には気付かぬ振りをした。
温かな感覚を味わう事はせず、すぐに身を剥す。もう一度頭を撫でてから、呆けたままのアキラをベッドに残しバスルームへ向かう。脱衣所の扉を閉めたのとほぼ同時に、アキラが再びベッドに倒れ込んだ衣擦れの音がヨウスケの耳には届いた。
朝食にはアキラの好きな物を多く作り、最近顔をしかめずに飲めるようになってきたトマトジュースと一緒に出そう。そう考えながら、ヨウスケは熱いシャワーを頭から被った。
赤いアネモネ 【花言葉】君を愛す