甘い声音で、ささやいて
「…双葉?」
暗い廊下にひっそりと立つ陰に声をかけると、彼女は驚いたのかびくりと肩を上げ振り返った。しかし僕の顔を見ると安心したように微笑んで、優しい声音で名前を呼ぶ
「眠れないのですか?」
今は深夜2時を少し越えた頃。黎明が心配そうにそう聞くのも無理はない。けれど正直に眠れないと言う事が何だかできなくて、曖昧に頷くと黎明は余計心配そうな顔になった。逆効果になっちゃった
「ん…少し、ね」
「体調が悪いのですか?」
「ううん、そんなんじゃないよ。ありがとう」
「…廊下は冷えます。取り合えず部屋に戻りませんか?」
「…ん」
促されるまま部屋に戻る私を確認すると、黎明は何か飲み物を持ってくると言ってキッチンへ向かった
本当は黎明に見つかりたくはなかった。凄く心配させちゃうから。本当に、単純に眠れないから気晴らしに部屋から出てだけなのに、きっと黎明は何か有ったのかと心配しちゃう。どうやって納得してもらおうかとベッドに座って考えていると、黎明がマグカップを持って戻って来た
「この時間にお茶はあまりよくありません。ホットミルクにしました」
「ありがとう。黎明」
マグカップを受け取りながら、そう言えば以前もこんな事があったと思いだす。あの時も遅い時間で、私の部屋で、薄暗かった
「前もこうやって、ホットミルク作ってもらったね」
「え…ああ、そうですね」
懐かしく思いながら言うと、黎明は静かに微笑んで頷いた
武骸を入れて、どうにか使えるようになってからここに戻って来た私を黎明は一度は拒否したけれど、それでも最後まで一緒にいる事を許してくれた。そして今も
「あったかい…」
黎明の作ってくれたホットミルクは適度な温度で、微かに甘い。なんだかほっとする
私を観察する様に黎明は立ったままで。座ったら、と勧めたけれど断られてしまった。黎明は頑固なところがある。だから一旦諦めて、もう一度、ホットミルクを3分の1ほどを飲み終えてから声をかけた
「黎明」
マグカップを置いて、自分の横を軽く叩きながら名前を呼ぶと黎明は渋々と座る。黎明の体重を受けてベッドが少し歪む
黎明は今でも私との主従の関係を保っている。それはお互いの立場を考えると当然なことでもあるけれど、仕事時以外でもそれはなかなか崩れない。とにかく、私を守る事を第一に考えている。ありがたい事だけれど、たまに寂しい時もある。そんなに堅苦しく考えなくても良いのに
「そんな心配しないで。本当に、眠れなかっただけだから」
「しかし…」
「大丈夫。体調が悪いとかじゃないよ」
目をじっと見て言うと、やっと黎明は頷いた。でもやっぱり納得はしていないみたいで、私を探る様に見つめる
「もう…」
どうしたら納得してくれるのか分からなくて、溜め息が漏れる。黎明はいつも、私は無茶をし過ぎだと言う。確かに無鉄砲なところは有ったかもしれないし、自分が体調を崩してる事にも気付かず仕事をし続けて、仕舞いには倒れた事も有る。でも今は、本当に大丈夫なのに
困り果てたまま黎明の手をそっと握る。それを不思議そうに見た黎明の頭を、抱え込むように抱きしめる
「ふ、双葉っ…」
慌てた様に声を上げるけれど、私を引きはがしたりはしない
ぎゅうと抱きしめ続けていると、暫くして黎明の腕が私の腰に回った。思っていたよりも強い力で抱きしめられて、少し驚く
「私の事心配してくれるのは嬉しいよ。でも平気だから、安心して」
「…双葉」
「ん?」
少しだけ低い声で名前を呼ばれて、顔を見ようと目線を下げた私の唇を黎明はそっと押さえつける
黎明のキスはいつも優しい。酷くそっと触れるのに、なぜか逃げだす事が出来なくなる不思議なキス。今だってそう。腰に腕が巻きついてはいるけれど、顔を逸らせば簡単に逃げられるのに、出来ない
唇を離すと、黎明は私の首元に顔を埋めた。一度だけ唇が肌に触れて、思わず小さな反応が漏れてしまう
「双葉」
「ん…っ?」
耳のすぐ傍で名前を呼ばれて、なんだか体がぞくりとした
黎明は私を抱きしめる腕に更に力を入れた。その分体が密着して、身動きがとりづらくなる
「僕はどうしたって、あなたを心配してしまうんです」
「黎明…?」
「これは僕の性格でもあり、あなたの過去の言動の影響でもあります」
黎明の性格は分かっているつもりだし、思い当たる自分の言動も少なくはないから思わず何も言えなくなる
反論できない私の首筋に何度か優しく口付けながら、黎明は続ける
「あなたを守りたいし、危険な目にも合わせたくない。体調を崩すような事にもなってほしくない」
「黎明…」
「だからあまり、心配させるような事をしないでください」
「でも…」
「今日の様に眠れないのであれば、僕の部屋に来てそう言ってください。話し相手くらいなら出来るし、ホットミルクを作る事も出来ます」
「でも…悪いよ」
夜中に約束も無しに部屋を尋ねるのは気が引ける
もう寝ているかもしれないし、何かの作業をしているかもしれない。黎明には普段から頼り切っているし、しなくてもすむ迷惑はかけたくない
「夜中に、あんな顔で、ふらふらと出歩く事の方が僕にとっては困るんです」
「あんな顔…?」
「この屋敷には司狼だけではなくフライコールの人間もいます。夜中にあまり無防備な顔で出歩くのはやめてください」
「う、うん」
いまいち理解できなかったけれど、きっぱりと言われてしまって思わず頷く
黎明は首から離れ、今度は耳に口付た。耳朶を軽く食んだり、舐めたりを繰り返す。優しいけれど逃げられないその行為に耐える様に黎明の服をきつく掴んだ
「…双葉」
「っ」
黎明の声が直に響いて、体が震える
こういう時の黎明の声はずるい。何気ないのに、私から一瞬で自由を奪う
「僕はあなたが好きです」
「れ、」
「だからこそ心配もするし頼ってほしいんです。そして出来れば…」
「…れい、めい?」
「出来れば、僕だけを見てほしい」
そう言うと、黎明は少しだけ体を離して私の顔をじっと見つめた。薄暗い部屋ではっきりと表情は分からないけれど、酷く真剣で少し切なげなのは分かった
「私は黎明だけを見てるよ?」
「そういう意味ではないんです、双葉」
困った様にそう言って、もう一度優しいキス
黎明が何を言いたいのかちゃんと理解出来ずに困ってしまう。ひたすら優しいキスが更に思考力を奪っていく。黎明の前髪が瞼に触れて、くすぐったい
「本当は…」
また耳元に口を添えて、黎明は言う
やっぱりこの声はずるい。何も出来ないし、何も考えられなくなる
「本当は、あなたをどこかに閉じ込めてしまいたいとさえ思う時があるんです」
「え…」
「誰にも見えない、どこかに…。でもそれは出来ない。双葉が悲しむだろうから」
「黎明…?」
「それほど、僕はあなたが好きなんです。双葉」
そのまま、耳の付け根を強く吸う。言い様のない感覚に襲われて軽く仰け反らせた私の体を支えたまま、黎明はその行為を続ける。黎明の吐息も、小さな水音も直に聞こえて、どうにかなってしまいそう
「れ、れいめ…っ」
慌てて名前を呼んだ私を無視して、黎明は続ける。体から段々力が抜けていく。少し怖くて、縋りつくように黎明の服を掴む。耐えきれなくて上ずった声が漏れ始めた私の口を、黎明の大きな手が塞ぐ
「ふぅ…っ」
「双葉…好きです。愛しています。今はただ、あなたを閉じ込めたくてたまらない。…許して下さい」
ひたすら優しく言われて、もうなにも返せない。体から完全に力の抜けた私をベッドに寝かせて、黎明はひっそりと微笑む。そんな黎明をぼんやりと見つめる私の首元に顔を埋めて、もう一度言う
「愛しています、双葉…」
切なげに言われ、私の意識は散り始めた