ララバイ





紅の世界に響くのは歪なメロディだけ。歪み、軋み、たどたどしさそのままに流れる音によって意識を持ち上げられたアキラはゆっくりとその瞼を持ち上げる。少しのだるさを感じつつ体を起こし、乱れた髪を手で整える。浅く呼吸をしながら今日が何日目かを考える。けれどそんなものはとっくに分からなくなっていた。1週間か、2週間か、1ヵ月か、それ以上か。時間の流れが不明瞭なこの世界ではそれを確認する事すら難しい。睡魔に襲われたらそれに大人しく従う。ここに来てから、アキラは自分が酷く怠惰な人間になった気がしている。だがそれを非難する様な存在はここにはひとりもいない。いるのはひとりだけ。この歪な音楽を奏でる彼だけ

「……カズキくん」

小さく名を呼んでも彼は気付かない。少し背を屈め、ただ鍵盤だけを見つめ紡ぎだす音だけを聞いている。この世界に来てから、アキラは彼が音楽を奏でていない姿を見た事が無い。常にキーボードの前で体を揺らしている。恐らくはアキラが眠っている時間も、ずっと。疲れないのか。飽きないのか。そんな疑問はすぐに消えた。今の彼の中に有るのは音楽への強い愛着と、あとはひとつの想いだけなのだから

「カズキくん」

もう一度、先程よりも少し大きな声で呼びながら彼の隣に腰掛ける。そこでようやく彼はアキラの存在に気付き、指は動かしたままで顔をあげた。そしてかけられる声にならぬ音。それに頷きながら、彼の大きな手を包み込み、導いてやる。正しい音の元へと

「おはよう、カズキくん」

また返される音。歌う様なその壊れた音にはきちんと意味が込められていると、アキラは感じている。先程よりも軽やかになったメロディがそれを証明していると。彼が彼である事実は何も変わらない
崩れたメロディの中で自分の名を呼ぶカズキの肩にそっともたれ、アキラは静かに瞼を下した