この声が届く場所に、あなたはいつだっていてくれる





エン=ソフとの戦いを終えた後、ジンも私もボロボロだった。特にジンはひとりで立つ事すら出来ないほど傷付いていて、本当に辛そうにしていた。けれどその辛さを黎明や司狼達には見せたくはなかったみたいで、フライコールの屋敷で休んだ方が良いと言う彼らの言葉を初めは拒否していた。でも拒否したところで普通の病院では安全面に問題があるし、結局行くところなんて無くて。私の説得を渋々と言った様子で受け入れたジンは今、フライコールの屋敷の一室で静かに体を休めている




「お早う、ジン。起きてたんだね」

控え目のノックの後そっと扉を開けた双葉は我の姿を見付けるとはにかむ様にほほ笑んだ。恐らく、まだ我が目を覚ましてはいないと思っていたのだろう
窓辺から離れ朝食の支度をしている双葉の元へと向かうと双葉は我の表情を窺う様に覗き込んだ

「・・どうした?」
「ううん。ずいぶん顔色が良くなってるから。良かったなぁって」

この屋敷に来てから、双葉はずっと我の体調の心配ばかりしている。確かに深手を負いはしたが、我は柔ではない。既に傷も塞がり生活には何ら支障が無い、と何度も説明しているがそれでも双葉は気遣う事をやめない
我に言わせてみれば双葉の体調の方が気がかりだ。全身に武骸を入れられた影響が小さいものではない事くらい知っている。双葉本人は大丈夫だと言っているがこの細い身体で無理をしているのは明らかだった。だが双葉が頑固で強がりと言う事も良く分かっている

「これは?」
「クラムチャウダーだよ。黎明が作ってくれたの」
「またこのようなものか・・・飽きたな」
「そんな事言わないでよ。折角作ってくれたのに。美味しいよ?」

ここに来てから食事はすべてあの黎明と言う男が作っている。無論そう双葉から聞いただけで、実際あの男が調理している様を見た事はないが。我の、そして双葉の体調を気遣ってか食事、特に朝食は体に優しいものをと言っていつもスープを作っている。双葉が褒める様に確かに味は悪くないが、傷もほとんど塞がった今となってはそれはいらぬ気遣いだった

「双葉はもう食べたのか」
「うん。後はパンを少しね」
「そうか」

双葉は毎朝我の部屋にやって来ては大半の時間をここで過ごす。時折外に出てはいるが、それでもすぐにここに戻り我と共に時間を過ごす。我自身もこの部屋から出る事は滅多にない。この屋敷にはあの男たちを初めとするフライコールの者が多く居る。そんな者たちと交流を持とうとは思わない。今下手に近付いたところで、余計な問題を起こすだけだろう
椅子に腰かけスプーンを手にした我を見て、双葉は満足したように微笑むとベッドに座り込んだ。そして穏やかな表情で我を見つめる

「ジンもパン食べる?」
「いや、いい」
「そっか。食べたくなったら言って。黎明が焼いてくれたのがあるから」

この屋敷に来て、分かった事がある。あの双子は酷く双葉を大切にしている。組織のボスとしてではなく、ひとりの女として。そして双葉自身、あのふたりを信頼している。その事が妙に気に喰わなかった。双葉を見つめるあのふたりの瞳に少なからず男としての熱が含まれている事は、奴らとの数少ない会話ですぐに分かった

「・・双葉」
「なあに?」
「・・・・」
「ジン・・・?」

ほぼ無意識のまま名前を呼んでしまい、言葉が詰まる。我らしくない行動に双葉は首をかしげてこちらを見つめる。その無言を押し殺す様に残りのスープを流し込み、空になった皿をテーブルに置く。そしてその皿を取ろうとした双葉の細い手首を掴むと、双葉は驚いたのか身をすくめた

「ジン?」

その言葉を無視し軽く引っ張ると、双葉の体は簡単にベッドへと倒れ込んだ。双葉は驚いた様子で大げさに目を見開いている

「え、な、いきなりなにするの、ジンッ」
「休め」
「へ・・・」

キョトンとこちらを見上げる双葉の乱れた前髪を撫でる。柔らかいそれはサラサラと我の指から滑り落ちていく。まだ双葉が幼いころ、我がクロムと名乗っていた頃にも幾度か、こうして双葉の髪を撫でた事がある。あの時過ごした日々は、今でも鮮明に思い出せる

「このところずっと顔色が悪い。声も少しではあるが掠れているな。・・我が気が付かないとでも思ったか」
「で、でも・・・大丈夫だよ」
「信用できんな。大人しく休め」
「でも・・・・」
「大人しく従わないのであれば強引な方法に出ても良いが?」
「・・・・分かった」

渋々と頷いた双葉の体に布団を被せ、もう一度頭を撫でる。あの時も小さい生き物だと感じていたが、その認識は今もあまり変わっていない。小さく、細く、弱々しく。だが確かに強い。不思議な少女だ。幼いあの時から内面もあまり変わってはいない様に感じる。ただひたすらに真っ直ぐで、時に愚かとも思えるほどに他人を信じる。例え己を傷つけられたとしても、ひたすらに

「ジン・・・・」
「・・なんだ」
「ここに、いてくれる・・・?」

真っ直ぐにこちらを見つめる双葉の瞳は、けれど微かに揺れているようにも見えた。何かを不安に、思っているのだろうか。その理由は今の我には推測しかできないが、だが今、ここを離れるつもりは毛ほども無い。そしてこれからも
しかしそれを直接口にするのは何故だか憚られた。なのでそのまま、無言で頭を撫で続けると双葉は安心したのか、小さく息を漏らしてから瞼を下ろした。それから規則正しい寝息が聞こえてくるまで、そう時間はかからなかった




「ジン、いますか」

一応気を遣った控え目なノックの後そう声をかけてみたが、室内から彼のあの低い声が響いてくる事は無かった。とは言え彼がこの部屋から出る事なんて殆ど無く、双葉の姿も見当たらない今彼がいるであろう場所と言えばこの部屋しかなかった。仕方なく、もう一度声をかけてみる

「・・・入りますよ、ジン」

そっと扉を開いて、まずは部屋の薄暗さに驚いた。今はまだ昼過ぎで、しかも天気も良いため暖かい日差しが差し込んでいる筈だ。けれどこの部屋はきっちりと締められたカーテンのせいで時間の感覚が狂うほど暗い。そして現在のこの部屋の主である彼がベッドにただ腰かけていると言う事にも驚きを隠せなかった

「起きて、いたんですか・・」
「・・まだ寝る時間には早いだろう。・・・・何か用か」

ぶすっとした様子で、だが普段よりもいささか小さい様な気がする声で彼は言いこちらを見つめる。そんな彼の腰掛けるベッドには双葉が静かに眠っていた。僕の方を見てはいるが、ジンの手は双葉の頭から離れる事は無い

「食器を、回収しに来ました」
「そうか」

不仲、と言う訳ではないが、ジンとの会話は未だにどこかぎこちないものがある。普段は間に入ってくれている双葉が今はいないのも原因かもしれないけれど。机に置かれた食器を片づける僕をジンは見ようとはせず、どこか宙をぼんやりと見たまま双葉の頭をゆっくり撫で続ける

「眠ってしまったのですね」
「疲れていたのだから当然だ」

双葉を起こさない様にか小さな声で、しかしはっきりとジンは断言する。その言葉を聞いて、僕は少し安心した。ジンは双葉が無理をしている事に気付き、そして双葉はジンに対して弱さを見せちゃんと甘える事が出来ている、と
ついこの間まで敵同士だった僕たちは互いの事をほとんど知らない。それどころか、ネガティブな感情を少なからず持っている。けれど双葉自身がジンに心を許しているのならば、僕はそれで良いと、自分でも驚くほどあっさりとそう思えた

「では・・失礼します」
「・・ああ」

入って来た時以上にそっと扉を閉め部屋を出ると、いつの間にか廊下で待っていたらしい司狼が腕を組んで立っていた

「双葉ちゃん、いたのか?」
「ええ。・・眠っていました」
「そうか。・・ジンは?」
「彼は起きていましたよ。特別何をする訳でもなく、双葉のそばにいました」
「そっか・・・・ならいーか」
「・・司狼?」
「なんでもねーよ。それよりなんか甘いもの食べたくないか?黎明、茶の用意してくれ」
「分かりました。アールグレイで良いですか」
「あぁ」

司狼と共にサロンに向かう途中一度だけふたりがいる部屋の方を振り返ったが、けれどすぐに前を向き司狼の後に続いた。今度、機会があればジンにどんな食事が好みか聞いてみるのも良いかもしれないと、ふと思った