審神者になって一年が過ぎた頃、その日は突然訪れた。
一日の仕事を終え、歌仙と燭台切が作ってくれた美味しい夕食を食べ、お風呂に入り、さぁ寝ようと思った瞬間、視界がぐらりと揺れた。貧血かなと思っていると、今度は足の力が抜け、敷かれていた布団に倒れ込んだ。
何が起きたのか分からず混乱しつつも、頭のどこかで冷静に、限界が来たんだなと悟った。
すぐにこんのすけを呼び、そして彼に蜂須賀を連れて来てもらった。普段はしない派手な足音を立て、事前に声をかける事も無く扉を開け放った蜂須賀は布団に座る私を見て、眉尻を下げたまま大きく息を吐いた。
そのまま無言で私の隣に座り、いつもの様にゆっくりと頭を撫でる。
「……大丈夫かい?」
「うん…今はまだ大丈夫」
蜂須賀は僅かに安堵したように微笑んだ。
瞬間、膝の上に乗せていたタブレットが無駄に軽やかな音を鳴らす。蜂須賀が部屋に来る前、政府に報告を送っていた。その返事が届いたのを知らせる音だった。
「随分反応早いなぁ…」
送ってから、まだ五分ほどしか経っていない。夜も遅い時間だというのに、政府は意外と仕事が早い。
「どう、言っている?」
僅かに声を固くして蜂須賀が聞く。蜂須賀がこうして緊張を表に出すのは珍しい事で、彼を不安にさせてしまっている事に罪悪感が膨らむ。
「うん……ひとまずは待機…だね。明日の朝政府の方でどうするか決めるって。昼ごろには決定の連絡が来るよ」
「そうかい」
ぽつりと零す蜂須賀はそれ以上言葉を続ける事はなかった。ただじっとこちらを見て、何かを考えている様だった。一体今彼が何を思って、どう考えているのか、私にはよく分からない。
「では少々失礼して!」
傍で静かにしていたこんのすけが声を上げ、私の手やお腹を確認するように撫でていく。こうして審神者の体調を看て、政府に伝えるのもこんのすけの仕事のひとつだと、この屋敷に来たばかりの頃教えられた。一体どんなデータを取ったのかは分からないけれど、こんのすけは二分ほどでその仕事を終えた。
「まずはお休みになってください。政府から連絡が来るまでは鍛刀、刀装作りも、刀剣男士の皆様の出陣も控える様お願いいたします!」
言い切って、こんのすけは姿を消した。
蜂須賀とこの部屋に残される。初めてこの屋敷に来た日の事を思い出した。あの時も、どこか気まずさを抱えたまま彼とここにいた。

「主」
暫く何も言えずにいると、蜂須賀が静かに口を開いた。
「今夜は俺もここで寝よう」
「えっ」
思わぬ言葉に目を剥くと、落ち着いた表情の蜂須賀は真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「何が有るか、分からないだろう?」
「いや……うん、そうだけど…」
「不満かい?」
「……布団、一組しかないよ?」
「構わないさ」
構わなくない、と言い返せる空気でもなく、しどろもどろに頷いてしまった。
結果、蜂須賀は座布団を二つ折りにしたものを枕として、私の隣に寝る格好になった。いつもの煌びやかな着物なのに、敷布団も掛布団も無い状態で横たわる彼は、けれどその事を本当に気にしていない様子のまま私に落ち着いた瞳を向ける。
「明日……どうしようか」
「皆には体調が悪いと伝えておこう。風邪か何かだと。俺が面倒を見ると言えば、昼までは誤魔化しも利くさ」
「分かった……お願いね」
眩暈は治まったけれど、頭が酷くぼんやりとしていた。本当に風邪をひいて熱が出た時の様だった。ふわふわとした感覚のまま、明かりの消された部屋で蜂須賀を見つめ返す。
「ごめんね、蜂須賀…」
ふいにそう言うと、蜂須賀は僅かに目を見張り、けれどすぐに笑みを浮かべて私の手を握った。
「主の責任ではない。大体、きみは今までしっかり頑張っただろう?」
「ん……でも、やっぱり、こんな風になっちゃったし…」
自分でも分かっていた事だったけれど、やはり途中で投げ出すようで申し訳がなかった。
「心配する事は無い。俺は最後まで、主と共に在るよ」
握った手に力が籠められる。蜂須賀の大きな手に頭を撫でられる事は多かったけれど、こうして包まれるのは初めてかもしれない。温かくて、とても落ち着く。そのまま瞼を下ろすと、眠りはすぐにやって来た。けれど蜂須賀はその手を離す事無く、朝が来るまでずっと傍にいてくれた。



*



翌朝、朝食の為に広間に集まった刀剣男士たちに主の体調が悪く、本日予定されていた出陣も遠征も中止になったと告げると、五虎退と乱が蜂須賀の元に駆け寄ってきた。
「あ、主様は大丈夫ですか!?」
「風邪って事?薬は?」
「大丈夫だ。薬は用意してあるし、今は眠ってる」
「ほんとに?」
「ああ、だから主の看病は俺に任せてほしい」
そう言うと、短刀たちは僅かに不服そうな顔をした。彼女が心配でもあるし、出来ればその世話をしたいという気持ちは蜂須賀も分かっている。だが今彼らを審神者と会わせる訳にはいかない。
「……分かりました」
五虎退が虎を抱える腕に力を込めつつも答えた。それに続くように乱や、その奥で話を聞いていた前田も頷く。彼らが納得した以上、他の刀剣男士が無理に看病をしたがるという事も無いだろう。和泉守や山姥切が何か言いたげな目を向けてもいたが、気付かぬふりをした。
「歌仙、悪いが食事を作ってもらえるかな。軽い、食べやすいものを」
「ああ、分かったよ。出来たら主の部屋に持って行こう」
「いや…俺が取りに行く。どのくらいで作れるかな」
聞くと、歌仙は少しばかり不可解そうな顔をしたが、けれどすぐに大体の時間の目安を言った。
「ありがとう。そう言う訳だ、今日は皆、好きに過ごしてほしい」
そう締めると、彼らは広間から散っていく。畑の様子を見に行く者、手合せをしに道場に行く者、私室に戻る者。そんな彼らを見送っていると、ふと視線を感じた。
「なにかな、石切丸」
振り返って問うと、その大太刀は暫し考える素振りを見せてから言った。
「主の魂が限界を迎えたようだね」
静かに言われ、目を剥く。彼は一体いつから主の体に限界がある事を気付いていたのか。感情の色が薄い石切丸の瞳からそれを読み取ることは出来ないが、だが彼の性質上、もしかしたら最初から分かっていたのかも知れない。そうであるなら、他の刀剣男士にその事を告げずにいた石切丸を追及する必要もない。
石切丸は周りに聞こえない様声を潜めた。
「なにか、出来る事はあるかな」
「いや……今は大丈夫だ、感謝する」
石切丸はただ頷くと、広間を去って行った。



*


朝からずっと、布団の中で過ごしている。
頭はまだぼんやりとしているし、足に力が上手く入らない。立てないという程ではないけれど、でも壁に手を置き支えないとふらついてしまう。喉がやたらと乾くけれど、熱は出ていない。気分が悪くはないので、歌仙が作ってくれたというお粥を食べる事は出来た。
「どうだい」
隣に座った蜂須賀が静かに尋ねる。
私が見つめるタブレットには政府からの指示が表示されている。私には拒否する権利が無いその決定は、指示と言うよりは命令に近いものだった。ひとつ深呼吸をしてから口を開く。
「十日後にこの屋敷を空けて、現世に帰れって」
それが私の体調を調べた上で政府が下した決定だった。それ以上長くここにい続け、彼らと共に暮らし、審神者として過ごしていたら私はそう時間もかからず死ぬ。だから本当はもっと早く現世に帰った方が良いけれど、ここで済ましておきたい事も有るだろうという政府の気遣いによって生まれた猶予がこの十日間だった。鍛刀も刀装作りもせず、大人しくしていればその程度の期間で致命的な状況になる事は無いという判断らしい。一応こんのすけに毎日体調を看てもらい、何か問題が有れば期限を早める事も有りうる、と言う事だった。
私を審神者に仕立て上げた時の強引さと比べると随分寛大な対応に思えた。いくら未熟とは言え、それなりに真面目に審神者業に勤しんだからだろうか。
「……そうか」
静かに答える蜂須賀の顔からは表情が抜け落ちていて、何を思っているのかよく分からない。けれど彼はそのまま、目線だけで私に続きを促した。
「みんなの処遇だけど、それは自分たちで選んで良いって」
政府からの指示によると、彼らが選べる道はふたつ。
ひとつは、私の力によってただの刀にその姿を戻し、一時的に政府の管理下になる事。その後、適時他の審神者の手に渡り、新たに刀剣男士としての身を得る事になるらしい。この場合、一度ただの刀に戻るためこの屋敷で私と共に過ごした記憶は消える。
もうひとつは、刀に戻る事はせず、特別な手続きをして別の審神者の元に移る事。受け入れ先となる審神者の霊力が高いと、こう言う手段も取れるらしい。その為受け入れ先には限りがあるけれど、そこは政府の方で手配してくれるとの事だった。この場合は刀に戻らないので、ここでの記憶が消える事は無い。
「みんなに……話さないとね」
「そうだね」
「蜂須賀も、決めてね…」
タブレットを布団の上に置き、腕を伸ばして隣に座る蜂須賀の手に触れる。ぴくりと震えた指先は、けれどそのまま私の事を受け入れてくれる。何も言えず、ただ蜂須賀を見上げる。感情が抜け落ちていた彼は、けれど暫くすると眉尻を下げ吐息した。
「主…」
「……ん?」
「今、決めた方が良いかい」
「ううん、ゆっくり考えてからで良いよ。一応十日は待てるから」
「ああ、分かったよ」
手を握り返される。蜂須賀の手は大きくて、温かくて、触れられるといつだって安心できる。

そのまま暫くそうしていた。ぼんやりと曖昧な頭のまま 、ただ蜂須賀の温度だけを感じていた。
けれどいつまでもそうしている訳にもいかない。時間が限られる以上、やるべき事をやらなければいけない。
「みんなを、呼んできてもらえる?」
「…大丈夫かい、主」
「うん。大丈夫……とはちょっと言いにくいけど、でもちゃんとしなきゃ。私がみんなに言う」
「俺も傍にいようか?」
「ありがとう。でも、大丈夫。みんなと一人ずつ話したいから」
「承知した」
そう言うと蜂須賀は立ち上がった。繋いだ手が離れるのが名残惜しく思えて、思わず布団を握りしめてしまう。
五虎退を最初に、呼び出した順番通りに連れて来てほしい事を伝えると、蜂須賀は僅かに笑みを浮かべながら頷いてくれた。彼が去り、静かになった部屋の中で、みんなに伝える言葉を考えた。



部屋に訪れた彼らとのやり取りは、思いの外平穏に進んだ。
五虎退たち短刀はみんな泣いてしまったし、和泉守にはこうなる事を分かっていながらずっと黙っていた事を怒られたけれど、それでも彼らは冷静に私の話を聞き、今後どうするかをちゃんと考えると答えてくれた。
私がわざわざ寝室に一人ずつ呼び出し、話し終えた短刀たちが泣いている状況を見てか、途中からはみんな何かを察した態度で扉を開けていた。
この屋敷にいる刀剣男士ひとりひとりに事情を説明するのは流石に時間がかかり、今はもうすっかりと日が暮れてしまっていた。最後のひとりは石切丸だった。
「主、ひとつ聞いても良いかな」
一通りの説明を終え、納得したように頷いてから、石切丸は私に聞いた。
「うん、なぁに」
「何故この事を皆に黙っていたんだい?」
これは他にも何人かに聞かれた事だった。隠していた事は事実なので、素直に気持ちを伝える。
「正直ね、ただ怖かったの」
「怖い…?」
「私がいつか必ずいなくなる事を知ったらみんながどんな態度になるか、怖かったんだ。私を気を遣ってくれるのか、逆に避ける様になるのか。きっと、傷付く子もいるだろうし」
事実、短刀たちや骨喰、山姥切は傷付いた事を隠さなかった。表情を歪め、涙を浮かべるその姿を見るのは少し辛かった。
「自分勝手だけど……何も知らないまま、のんびりと過ごし続けたいなって、そう思っちゃって」
そうしたら、なかなか言えないまま時間だけが過ぎた。その中で蜂須賀だけは気付かせてしまったと、そう言うと、石切丸は僅かに考えてから頷いた。
「なるほど」
「どこまでも不出来な主でごめんね」
「ああ……確かに最初に説明するべき事だったかもね。だがきみは、今こうしてひとりひとりとちゃんと向き合った。それで十分だと私は思うよ」
微笑みながらそう言ってくれた石切丸は私の肩に軽く手を触れた。
「今後の事だが、今決めてしまっても良いかな」
「え、もう決めたの?」
みんなゆっくり考えると言う中、どちらを選ぶかすぐに決めたのは石切丸だけだった。
「ああ。私はただの刀に戻り、暫しの眠りにつくよ」
「うん……分かった。いつ戻るか、希望は有る?」
彼らを刀の姿に戻す作業は私が行う事になっている。流石に屋敷を空ける当日に全員一気にやる事は出来ないので、彼らが決断し次第、やろうと思っていた。
「それじゃあ、明日でいいかな」
「分かった。じゃあ明日、よろしくね。短い間だったけど、ありがとう、石切丸」
最初で最後の大太刀となった彼は、短いながらもその力を存分に発揮してくれた。彼がいる事で戦いに余裕が生まれたと、和泉守も語っていた。
「ああ、こちらこそ、感謝するよ」
そう言って立ち上がった石切丸は静かに部屋を後にした。
これで二十六人、蜂須賀も含めると二十七人全員に話をし終えた。外はもう暗闇となり、屋敷全体がいつにもまして静まり返っている様に感じた。



そこからは酷く穏やかな日々を過ごした。
体調が悪く、出歩く事はあまり出来ないから部屋にこもりがちになったけれど、「私の寝室に入ってはいけない」と言う蜂須賀が定めた決まりが撤回された結果、みんなが尋ねに来てくれる様になった為寂しさや退屈さは感じなかった。
みんなは十日の期限の事、私がいなくなる事にはあえて触れず、ただいつも通りの他愛ない話をしてくれた。それにはとても救われた。
その中で、今後どうすかをみんなが決め次第、必要な処置を行った。
最初は石切丸で、彼は刀の姿に戻る事を選んだ。刀剣となった大太刀は、すぐに政府の元へと送られた。今後彼がどんな審神者の手に渡るかは私には分からないけれど、出来れば私よりもっと力のある人の元に行って、その力を存分に奮ってほしい。
他には和泉守や堀川、前田に燭台切も石切丸と同じ道を選んだ。
記憶をそのままに他の審神者の元に行くのを一番最初に選んだのは骨喰だった。再び記憶を失うのは避けたいと、彼は小さな声で零した。
同じ選択をしたのは山姥切や乱、そして五虎退だった。
少しずつ彼らを見送っていき、屋敷の中は段々と静かになっていった。そして最後の夜、蜂須賀と二人になった。

私の部屋にはいつもの様に蜂須賀がいた。
「みんな行っちゃったね…」
「ああ、そうだね」
「こんなに静かなのは久し振りで、ちょっと落ち着かないな」
その日は初めて蜂須賀がご飯を作ってくれた。レトルトのお粥でも食べようと思っていたら自分が作ると言われ、とても驚いた。あれだけ料理は嫌だと言っていたのに。ふわふわの卵が入った少し塩味の濃いその雑炊はとても美味しくて、口に入れると落ち着いた。
あとから聞いてみると、歌仙に簡単な雑炊の作り方を教えてもらっていたらしい。その歌仙も、今日の夕方見送った。
もうすっかり夜も更け、あとは眠るだけ。明日の朝になったら私はここを去り、現世へと戻る。
「蜂須賀」
隣に座る彼の手を握り、顔を見上げる。真っ直ぐにこちらを見返す彼は、まだどちらの道を選ぶか決めていない。
「あなたはどうする?」
聞くと、蜂須賀はその表情を崩さず、けれど私の手をしっかりと握り返した。考え込むように口を噤んだまま。
審神者が死んだり、神隠しをされていなくなった場合、残された刀剣男士たちは日々霊力を失っていき、その身を維持する事が出来ず消えていくことになる。そう言う形で刀の姿に戻った彼らは力が抜けきっていて、他の審神者によって呼び出す事も出来ない状態になるらしい。主を失った付喪神にはただその存在を失っていく道しか残されない。それを防ぐため、私はこの数日、自分の手で彼らを送り出している。
だから蜂須賀にも決めてもらわないといけない。彼の存在がただ消えていくのは避けたい。
「蜂須賀」
黙り込んだままの彼に声をかける。
僅かな間の後、蜂須賀は小さく息を吸ってから答えた。
「俺を、刀の姿に戻してほしい」
蜂須賀は刀の身に戻る事を選んだ。それは私との記憶を失う事でもあった。
「うん、分かった」
彼らの決定には一切口を出さないと決めていた。私の事を忘れてしまう事は正直寂しかったけれど、勝手にいなくなっていく人間にそんな事を言える権利が無い事も分かっていた。だからただ頷いて、正面に座る蜂須賀を抱きしめた。
「どうする?今やる…?それとも明日……」
「そうだね……」
こちらを抱きしめ返しながら蜂須賀は考え込む。けれど彼はすぐに答えを出し、私の頭を撫でる。
「今、お願いするよ」
刀剣男士を刀の姿に戻す方法は、彼らを呼び起こした時とそう変わらない。今までお疲れ様、ありがとうとただ心の中で念じる様に言う。これまではずっと、彼らの手を握りながらそれを行っていた。
今は蜂須賀の大きな体を抱きしめている。彼はただ静かに私を受け入れる。
「最後まで不出来なままでごめんね。今まで本当にありがとう」
「ああ……」
ただそう呟く蜂須賀が僅かに微笑んだ気がした。その瞬間、眩しい光があたりに散って思わず目を瞑る。そして僅かな間の後に瞼を上げると、目の前には煌びやかで鮮やかな刀が転がっていた。
指先でそっと触れてみると、ひんやりとした感覚が伝わってきた。さっきまで人の体温を持っていた蜂須賀虎徹はその身を刀剣に戻し、暫くの眠りについた。



*



その後の事は何の滞りも無く、スムーズに進んだ。
予定通り現世に戻った私は暫く入院し、政府による治療を受けた。戻ったばかりの頃は随分と疲弊していたけれど、現世に戻ればそれだけで改善するという政府の説明通り、すぐに体調は良くなり、自宅へと帰る事も出来た。
政府からは通常の給料にプラスして、見舞金と言う名目で結構な額を貰えた。
現世に戻った審神者は特に制限をかけられる事も無く、それまで通りの生活を送れる。ただ刀剣男士たちや審神者の仕事の詳細に関する事は関係者以外には他言無用ときつく言われている。多額の見舞金は口止め料も兼ねているらしかった。
入院中は家族にもまだ連絡してはいけなかった為、見舞に来る人は一人もいなかった。ただ検査の為に看護師や政府の人間が頻繁に顔を出していたので、幸い寂しさは感じなかった。その中に、事前研修で壇上に立っていた女性の姿も有った。
思わず声をかけると、彼女は思いの外フレンドリーに接してくれ、いくつかの事を教えてくれた。
私と共にあの研修に参加した三十数名の審神者たちの中で、こうして無事現世に戻ってこられたのは私を含めて六人しかいないらしい。未だに審神者としての仕事を続けられているのはあと三人。残りの二十数名は途中で刀剣男士に殺されたり、神隠しされたり、或いは限界が来ても無理に審神者であり続けようとした結果死んでしまったらしい。
現世に戻って来られた私達六人はその刀剣男士の身も守れたという事で、政府としては戦力を失わず、他の審神者の手に渡す事で更に有益に使えるという事だ。だからあなたには感謝していると、女性は言った。
私の元にいた彼らがどうか精神的にも優れた審神者の手に渡る様お願いすると、彼女は善処すると頷いてくれた。ただの口約束だけれど、ほっとしたのは事実だった。
それからは大学に復学し、就活をしながら穏やかに過ごしている。
蜂須賀たちと過ごした事を証明するものは今はもう私の記憶しかない。それはやっぱり寂しかったけれど、彼らが立派な審神者の元、その力を存分に奮っている事をただ祈りながら、日々を過ごしている。



*



蜂須賀虎徹が目覚めた時、最初に抱いたのは違和感だった。
「きみが蜂須賀虎徹か。よろしく頼むよ」
年嵩の男がそう言いながら手を差し出してくる。何故朱ではなく紺の袴を身に着けているのか。何故娘ではなく男なのか。何故ここまで自信に満ちた態度なのか。
目覚めたばかりで不明瞭な意識の中、思わず考えた。
だがその思考も瞬間消える。何を疑問に感じていたのか、目の前のこの男こそが今の己の主である事は揺るがぬ事実なのだから、迷う必要はどこにもない。
「俺を選ぶとは、目利きの腕は確かなようだね」
そう返しながら、男の骨ばった大きな手を握り返す。
満足げに頷いた男は屋敷を案内すると言って鍛冶部屋から出ていく。それに続きながら、この屋敷の庭にも藤の花が有るだろうかと、蜂須賀虎徹は意識の片隅で考えた。