恋する蝋人形





琉球LAGを離れて一年余り。アキラとエピフォンは酷く穏やかな生活を送っていた。教官として日々の仕事やそれに伴う雑務、教え子たちの指導やマネージャー業に奔走していたアキラにとって、ここでの生活は少し退屈にすら思える程だった
けれどそれだけ頑張ってきたのだし、のんびり体と心を休めるのも良い事だろうと考えアキラはこの生活を受け入れていた
新しい生活にも慣れた。そう思う一方で、自分の心が未だに一年前のあそこにいる事もアキラは自覚していた。いい加減前に進まなければ、そう思ってはいるものの、なかなかままならぬまま日々が流れていく。どうしたらいいのか、その足掛かりすら掴めないまま

昼食後、読書に没頭していたアキラがふと顔をあげると、目の前のソファに座っていたはずのエピフォンの姿が消えていた
彼がひとりで外出することは滅多に無いし、もしそうだとしたら必ずアキラに一声かける。自室に戻る時も同じだった。彼は常にアキラに言葉をかけた上でその場を離れる。本当に真面目な人なのだ
今回もいつもの様にアキラに声をかけた筈だ。けれどアキラにその覚えはない。本に集中するあまり無視してしまったのだろうか。だとしたら少し申し訳ない。そう思いながら本を置き、居間を後にした

「エピフォン?」

彼の自室のドアをノックをし、声をかけてから数秒待つも反応は無かった。もしかしたら寝ているのかもしれないと思いつつそっとドアを押し開けたが、そこには誰もいなかった
唯一の当てであった自室が外れ、アキラは少しだけ動揺した。エピフォンはあまりフラフラ出歩かない。大抵はアキラと一緒に居間で音楽を聴いているか、或いは自室で休んでいることが多かった。その自室にもいないとなると、行き先が思いつかない。ひとまず家の中をしらみつぶしに探そう。それでももし見つからなかったら、大急ぎで外に探しにいかなければ。まだ言動にたどたどしさが残るエピフォンがひとりで出歩くのは心配だった。アキラは小走りで二階の部屋を確認しに回った


アキラの焦りとは裏腹に、エピフォンはすぐに見つかった
二階の、一度も使われた事のない客間のバルコニー。そこに彼はいた。穏やかな風に茶色い髪を揺らし、ただ静かに佇んでいた。その後ろ姿を見つめていると、言葉が不意にこぼれた

「ヒジ…リ、く……」

言って、すぐに違うと自分を否定した。そして振り返ったエピフォンの表情が微かに歪んだのを見て、身勝手にも自分の心が軋む
違う。彼は彼じゃない

「……どう、しま……した…?」

不器用に表情を戻しながら訪ねるエピフォンにアキラも狼狽えながら答える。姿が見えず心配で探したと。彼はその言葉に謝罪しながら、ここにいた理由をゆっくりと述べる。ここが一番見晴らしがよく、自然の音もよく聞こえるからと

「そうだね……」

彼の隣に立ち同じ様に音に身を委ねる。アキラにとって彼の隣は落ち着く場所ではあるが、それと同時に心が揺れる場所でもあった。今の彼を認めてしまったら、彼の存在が消えてしまうのではないか。そんな不安がいつまでたっても拭えず、結局前に進めない
そんなアキラの気持ちを知っているのか、エピフォンは何もしない。ただ静かに隣に居続け、アキラを静かに見つめ続ける。小さな燻ぶりを抱いたまま

title by 彩時雨