ネバーエンディングストーリーはこれから
「え、また?」
驚いて高い声を上げたルルの手からメモがはらりと落ちる。それを拾ってやりながら、エストは頷く
放課後の図書館は静かで少しでも大きい声を上げると目立ってしまうが、最近のルルはそんな事をする回数も以前と比べると大分減った。今も周りを気にしつつ声を出来るだけ抑えてエストの顔を覗き込む
「先月もシャツを変えたばかりじゃなかった?」
「ええ、そうですね」
言いながら椅子に座り直すエストのズボンの裾は少しばかり丈が足りていない。不格好と言う程ではないけれど、それでも普通に歩いていても違和感に気付く様な短さになっている。それをどこか難しい顔をしてじっと見つめるルルの揺れる髪を見て苦笑する
ルルの髪はもう大分伸びた。それまでのポニーテールとは違うハーフアップに髪型を変えたお陰で余計その長さが目立つようになった。背も少しだけではあるが伸びたし、顔だちも大人びてきている。そんな自分の変化を棚に上げてルルは軽く頬を膨らませて言う
「やっぱりまた背が伸びたのね」
何故それを不服そうに言うのかエストには理解できないが、目の前のルルは拗ねたように指先でメモを玩ぶ
過去の世界から戻ってきて以降、自分に出来る範囲ではありながらも積極的に食事を摂るようになったお陰かエストの背は順調に伸びていた。その変化には周りの騒がしい仲間達も驚いて、時にからかったりもしてくるが一番大きな関心を示しているのはルルだった。いっそエスト本人より彼の成長度合いを気にかけている
背が伸びている事を最も分かりやすく実感するのは洋服だった。それまで普通に着ていたものをきつく感じるようになる、丈が足りなくなる。ハーフ丈のズボンが通常の長い丈のそれに代わり、マントがワンサイズ大きいものに変わり、サスペンダーが不要となった。この一年での変化を思い返し、エストはひとり満足を得る。この調子ならば問題は無いだろう、と
「エストは大きくなるのが早すぎると思うの」
「成長期ですからね」
「でもっ……もうちょっとゆっくりでも良いと思うの」
「自分でコントロール出来る事ではありませんからね。……と言うかルル。僕が成長するのが嫌なんですか?」
聞くと、ルルは一瞬何かを言いかけたものの気まずそうに押し黙った。それから言葉を探すように視線を彷徨わせる。その様子を見ながら考える
ルルがエストの成長を気にしている理由はなんとなく見当がつく。ルルの中でエストは未だ可愛い存在で、成長してそこから逸脱していくことが気になってしまうのだろうと。だからと言ってそれを不満に思われるのは心外だし、そもそもエストにとってはルルに可愛いと言う認識を持たれ続ける事の方が不満だった
ルルは相変わらずエストを年下扱いする。実際そうなのだから仕方ないとは思うものの、やはり男として納得がいかないのも事実だった
眉を情けなく歪めたルルを内心の不満を隠さぬまま見つめる。ルルは少し迷ってからおずおずと口をひらいた
「だって…なんだかエストばかり先に行っちゃって、私は置いて行かれちゃうみたいなんだもの」
「……は?」
予想外の答えに気の抜けた声が漏れる
一瞬思考が止まったエストとは違い、ルルは不安そうな目をしたまま彼のマントの端を小さく握った。いつもとは違うその頼り無さに少しばかり動揺しながらエストはルルの言葉を受け入れる。そして理解をし、彼女には気付かれぬよう苦笑を漏らす
「まったく、何を考えているのかと思ったらそんな事ですか」
「そっ、そんな事じゃ無いものっ」
勢いよく顔を上げたルルの表情はエストが思っていた以上に必死だった。それに一瞬驚き、けれどすぐに笑みがこぼれる。何事に対しても一生懸命なのはルルの美点だとは思うが、その分視野が狭くなりがちなのは今も変わらぬままだ。その欠点すらルルの魅力だと感じている自分はもう大分末期なのだろうなとエストはどこか冷静に考える
ルルの手を握りながら真っ直ぐに琥珀色の瞳を見つめる。ルルは少し頬を染めたけれど、今度は目を逸らす事無く見つめ返した
「良いですか、ルル。僕が成長するのは成長期の男として当然の事です。女性のあなたと体格に差が生まれるのは当たり前です」
「それは分かってる…分かってるけど……」
「けど?」
言い聞かせる様に言って、ルルの答えをゆっくりと待つ。ルルが何を考えているか大体の見当はついているが彼女自身の言葉をエストは求めた。その事に気付いたルルは諦めたように、少し躊躇いながら口を開く
「エストはこうやって背も大きくなって、前よりももっと勉強して変わっていっているのに、私は全然変わっていないから……置いていかれてるみたいで寂しいの…」
徐々に声が小さくなっていきながらもそう言うと、ルルはエストから視線を外した。照れているのか、自分を情けないと思っているのか、両方か。何にせよ、ルルのこの考えは見当違いなものだとエストは考える。ルルは元々鈍い性質だが、自分自身の変化には更にそれが顕著だった
俯いたルルの手を握り直しながら、エストはゆっくりと告げる。この幼さの残る年上の恋人を安心させる為に
「あなたは自分が変わっていないと思っているんですね?」
「……うん」
「僕から見たらあなたも随分変わったと思いますよ」
「え……?」
「確かに僕と比べたら小さな変化かも知れませんが、あなただって外見が変わっているでしょう?背も多少ですが伸びているし、髪も伸びたし、顔だちも少し大人びました」
「そっ…そう、かな…」
慌てた様にそう聞き返すルルの少し乱れた髪を直してやる。その拍子に指先が頬に触れ、瞬間朱に染まる
「外見だけではないでしょう?全属性としてあなたの魔法はもう完全に安定しているし、知識も増えた。この一年であなたのレベルは大きく上がった。違いますか?」
「う…ん…」
「ですからルル。僕だけが変わっていっているというのは大きな勘違いですよ。――それに、」
言い、今度は明確な意思を持って頬撫でる。見開かれた琥珀色が波打つ。エストは知っている。ルルがまだこうやって触れられる事に慣れていない事を。それを理解しつつ、利用する。エストはずるい!と最近よくルルに言われるが、ずるかろうとなんだろうと構わないとエストは考えている。使えるものは何でも利用したい。いつまでも年下扱いする恋人にはこのくらいがちょうど良いだろう、と
「もし仮にルルが置いて行かれているとそう感じても、僕は許しません。僕はあなたを離す気はありませんから。…分かっていますよね?」
「っ……」
瞬間息を詰めたルルはエストから逃げる様に身を捩ろうとする。けれどエストは彼女の首筋を一撫でする事でそれを遮る
固まったように動けなくなったルルに微笑むと、エストは立ち上がった。それにつられる様に立ち上がったルルの手を引き、ふたり分の荷物を手にして図書館をあとにする
ルルは気付いていなかったが、図書館にはそぐわない雰囲気を察知した周囲の生徒がちらちらとこちらを伺い始めていた。エスト自身はあまり気にしないが、それでもルルのこう言う表情を周りに晒す事はあまりしたくなかった。エストは自分が独占欲がとても強い人間だと、あの過去の世界で嫌という程学んだ
「あのっ、エスト!」
図書館を離れ湖に向かう途中、冷静さを少し取り戻したルルがエストを引き留めた
「ごめんね、変な事言っちゃって…」
「構いませんよ。ひとりで悩まれるよりは言ってくれた方が僕としても有り難いですし」
少し照れながら頷くと、ルルは自分の荷物を受け取る為手を伸ばした。そしてエストの足元を見て言う
「いつ新しいズボンを買いに行くの?」
「今週末に行く予定です」
「私も一緒に行っていい?」
「ええ、もちろん」
答えると、ルルは笑みを浮かべた。エストはルルの笑顔が好きだ。照れた顔や拗ねた表情も好きだが、やはりルルはこうやって笑っているのが一番だと、そう改めて考える
「帰りにカフェに寄りますか?」
「えっ、良いの?」
「行きたいのでしょう?構いませんよ」
「ふふっ、ありがとうエスト!嬉しいわっ」
言って手を取り指を絡めてくる。ルルのこう言う素直な表現にはまだ恥ずかしさを抱いてしまう事があるが、エストはそれをなるべく隠す。ここでうっかり照れているのが悟られてしまったらまた以前の様に可愛いと言われ、ルルに年上ぶった態度を取らせる事になってしまう
それは出来るだけ避けたかった。実際の年齢が下という事実は変えられないが、ルルの認識だけは少しずつではあっても変えていきたいと言うのがエストの望みでもあった
夕日に染まったルルの髪が揺れる。未だに自分を年下扱いする恋人を眩しそうに見つめ、エストはルルに微笑みを返した