それは何か特別な者を見るような





御使いが暑さに文句を垂れながら海に行きたい!と言ったのが3日ほど前の事
彼女は偶々傍にいた暁月にねだったが、海は少々遠い。軒猿である暁月の足なら問題はないがただの女である真奈の体力では海に着くまでに随分と時間がかかってしまう。その上今は少しばかり忙しく、警護の人間をそう何人も城から離す事は難しい
そう説明すると、真奈は暁月が思っていたよりも数段素直に納得し、そこでその話は打ち切りとなった。その妙な聞き分けの良さに、暁月は良く分からない罪悪感を僅かに抱いた




「川?」
「今日は時間もあるし川なら遠くないしな。どうすんだ?」
「いくっ!」

暁月の提案に初めはキョトンとした真奈だったが、その説明を聞くと目を輝かせて立ち上がった。そしてちょっと待っててと暁月に言うと山吹色の小袖から軽衫袴に着替えて出てきた

「よし、行こう!」

よほど嬉しいのか、暁月を引っ張る様な勢いでそう言う。向かうべき方角を分かってはいないはずの真奈に溜め息を漏らしつつ、暁月は彼女を追った
真奈のそういう行動的なところは嫌いではないが、同時に向こう見ずな言動が多いのは考えものだ。ただでさえ何かと問題を引き起こしやすいのに、その行動のお陰で暁月達軒猿の仕事が増える事は珍しくない。その事を苦とは思わないが、真奈の身に何かしらの危険が及ぶ可能性が増える事は遺憾としか思えない

「暁月って泳げるんだよね」
「当り前だ。なんだ、お前泳げないのか?」
「泳げますー。結構良いタイム出した事だってあるんだから!」
「へぇ。そりゃ見ものだな」

泳げると言ってもどうせ大したことは無いだろうと思っていたのが顔に出ていたのか、真奈は不満そうに頬を膨らませた
暁月もあまり人の事は言えないが、真奈は思っている事がすぐ顔に出る。喜怒哀楽それ以外の感情。基本的に彼女が何を思っているかはその表情を見れば読み取れる。とても間者など務まる器ではない。勿論、今更そんな疑いは持っていないが

「魚いるかなぁ」
「いる事にはいるが…掴み取りでもする気か?」
「出来たら良いけど流石になぁ…難しそうだし」
「釣りしたいなら先に言っておけよな。用意ぐらいしたぞ」
「ほんと?じゃあそれは次の機会にって事で」

また行くつもりなのかと内心思いつつも、同時に次はいついけるかと今後の仕事の予定と照らし合わせつつ考える
真奈は素直に物を言うが、あれがしたいこれが欲しいと我が儘を言う事は実のところあまり多くはない。もといた世界での生活と違いここは大層不便らしいので、なにかと大変だろうにといつぞや翠炎が憂いていたのを覚えている
その事に関しては翠炎と意見が合致しているので、暁月は出来うる限り真奈の希望は汲んでやろうと思ってはいる。だがそれをきちんと言動で表す事が出来ているかと言うのは、また別問題ではあったけれど

「凄い!きれー!」
「おい転ぶなよ!」

川を見るや否やはしゃぎ出す真奈に呆れたように言いながらさっと周囲を警戒する。少し離れたところに居る軒猿以外、周りに人の気配はない。ここは人里から離れているし、真奈は気付いていなかったかもしれないが入り組んだ場所にある。そうそう人は入り込まないだろうと考える暁月の前で、いつの間にか草鞋を脱いでいた真奈は袴の裾を大きく持ち上げた

「ばっ、お前!何してんだよ!!」
「え?」

白い足が夏の日に晒され動揺した暁月を真奈はキョトンとした顔で振り返った
暁月の慌て様も何故怒られているのかもまるで理解できていないと言った表情に、更に暁月の声が大きくなる

「良いからしまえ!」
「な、何をよ!」
「あ、足だよ莫迦!」
「なんで!?」

暁月につられるように声を大きくしながらも、真奈は腰紐に袴の裾を挟んでいく。暁月の言葉など聞くつもりはさらさら無いと言った様子で今度はたすきを取り出し、袖を縛り上げる
二の腕まで露わになった事で暁月は更に動揺したが、真奈はぷいと彼から顔を逸らしひとり川へと入り、ばしゃばしゃと水を蹴って遊びだした

「子供かあの莫迦…!」

苛立ちのぶつけ先が無くなってしまった暁月はその場にどかりと座ると、真奈が視界に入らぬよう反射する水面を凝視した
以前から真奈は子供っぽいところが有るとは思っていたが、まさかここまでとは思ってもいなかった。真奈は女としての自覚が足りない。彼女の風呂を覗き込みぶしつけな事を言った過去の自分は当然脳内から消したまま、暁月は不機嫌さを露わにしたまま座りこむ
あんな風に躊躇いもなく足をさらけ出す女なんて見た事がない。健康的ではあるが思っていたよりも細く白い足が脳裏に浮かび、それを慌てて消し去る様に頭をぐしゃぐしゃと掻く
ちらりと様子を窺うと、先程の不機嫌さをさっさと忘れたらしい真奈はシロと共に戯れていた。その単純さと切り替えの早さが今は憎らしい。もう一度彼女を視界から遠ざけ揺れる水面を見る
真奈の警戒心と自覚のなさをどうにかしたいと考えては見るものの、自分では良い言葉が浮かばない。そもそも、いざそう言う状況になってしまうと先に感情がそのまま言葉になって、先程の様な喧嘩腰になってしまって結局は破綻する。翠炎のように上手く諭す事が出来れば良いのに、とは思い色々考えを巡らすものの、暁月自身自分がこういう事には向いていないと自覚している
今更どうしようも出来ないし、ここは諦めてまた少し経ってから注意しようとひとつ溜め息を吐くと、なにやら激しい水音と共に真奈の声が響いた

「暁月っ!見て!」

何事かと振り返ると、真奈が自分の顔ほどの大きさの魚を素手で掴み上げていた
唖然とする暁月の元へ駆けるようにしてやってくると、手の中で暴れまわる魚に苦心しながらも笑顔で暁月を見上げる

「見て!捕まえたよっ!ちょっと凄くない?」
「あ、ああ…」
「焼いたりしたら食べられるかな…美味しい?この魚」
「…ああ、そうだな……。ちょっと待て、今入れる物を…」

我に返った暁月が荷物を手に取る後ろで、真奈は暴れる魚と足元ではしゃぐシロにきゃーきゃーと騒いでいる
その呑気な様子に気が抜け、恰好に対して注意する気力が一気に消え去っていく。けれど逆に、真奈自身が一切気にしていないのに自分ばかり色々と考えを巡らせてしまっていると言う何とも微妙な不公平感を抱いた
だがそれを真奈にぶつける訳もいかず、口を噤んだまま魚と格闘を続ける彼女に袋を差し出す。それにどうにか魚をねじ込むと、真奈は一息ついてから暁月を見遣る

「ありがとう、暁月」

満面の笑みでそう言われ、思わずたじろぐ
水面の光が真奈の顔に反射し、彼女の瞳を彩る

「暁月?」

反応がない事を不思議に思ったのか、小首をかしげながら尋ねられる。その拍子に真奈の髪がゆらりと揺れた

「か、帰るぞ!」
「え、もう!?」
「良いから!さっさと足しまえ!」

会話を強引に転換させる暁月に戸惑いながらも、真奈は袴を直したすきを解いていく。それを確認してから、暁月は彼女から奪う様に袋を預かると歩き出す

「ちょっと待ってよー」

慌てて着いてくる真奈に振り替える事はせず、ただ前を睨むようにして進む
頭の中がごちゃごちゃになり酷く落ち着かない。日に当たり白く浮かんだ足も、あの柔らかな笑みも、どれも瞳にこびり付いて離れそうもない。苛立ちにも似た、どこか妙な感情がわき上がる

「暁月ー!」

駆けてくる真奈の歩幅にあわせてやりながら、それでも追い付けはしない距離を保ちつつ、森を進む
城のすぐ傍まで来ても頭の中は落ち着かなかったが、その動揺があまり不快なものではないと言う事が、暁月には少しばかり不可解だった。自分ではどう対処したらいいか見当もつかない感情を抱えたまま、真奈と共に家路に着いた





title by 彩時雨