会いたいと思うことは欲張りなことですか?
講義が終わった後、バイトの無い休日
私はいつも、先生の家へと向かう
「おう、来たな」
それだけ言うと、先生はさっさと仕事部屋へと引っ込んだ
ノーベノレ賞を受賞してから、小説の執筆以外にも色々と仕事の増えた先生は忙しくしている事が多い
今も締め切りをいくつか抱えているらしい
その事を知っているので私は勝手に荷物を置き勝手にお茶を淹れ、勝手に自分がくつろぐ為のスペースを作り上げる
先生はその事について何も言わない
もうお互い慣れている。ううん、慣れていると言うか、馴染んだんだ。こう言う付き合い方に
鞄の中から来る途中に買ったファッション誌を引っ張り出して、コーヒーを啜りながら眺める
カレンの影響で中学時代とは比べ物にならないくらいファッションに関しての興味と知識がついたと思っている
流石に流行りを追ってれば大丈夫!とは思わないけれど、やっぱり雑誌で取り上げられている物を見るのは純粋に楽しい
あ、このワンピース可愛い
有名ブランドの新作として紹介されている洋服。流石なお値段なので手軽には手を出せない。ただ似たようなデザインなら探せば見つかるかもしれない
今度カレンに連絡をして買い物に行こうかな。ミヨは相変わらずファッションに興味が無いけれど、きっと誘ったら一緒に来てくれるはず
そうやって、私はいつも過ごす
先生の家に来て、勝手にのんびりと過ごす
勿論先生の仕事が空いている時は外に出かけるけれど、先生は騒がしいところがあまり好きじゃないからカフェに寄ったりあのバーに顔を出す事が多い
先生は私を気にする事無く仕事に向かう。その事を寂しいとは思わない。だって先生のあの真剣な顔をこっそり見るのが、私は大好きだから
雑誌1冊を読み終えたけれど、先生が戻ってくる気配は無い
もう一度鞄の中から、今度は文庫本を引っ張り出す。さっきの雑誌と一緒に買ったこの本は、店の一番良い位置に平積みされていた恋愛小説だ
先生の作品ではない。20代後半の女性作家の作品
先生と一緒にいるようになって、私は読書量が増えた。本屋で気になるのを見つけたらつい買ってしまう
しょうもない作品に当たる事も無きにしもだけれど、いろんな人が書いた文章を見るって言うのは楽しい。お気に入りの作家さんも増えた
勿論、どの作家さん、どの作品も先生のそれには遠く及ばないけれど
「電気つけた方が良いぞ」
「あ、終わったんですか?」
「ああ。切りの良いところまでな」
「お疲れ様です」
マグカップ片手に先生が仕事部屋から出てきた時には、私はその恋愛小説の3分の1を読み終えていた
先生に言われた通り、いつの間にか日が沈んでいた部屋の中は薄暗くなっていた
ゆったり歩きながらキッチンへと向かう先生を見ながら文庫本に栞を挟んで、同じように空になっていたコップを持って立ち上がる
マグカップに水を張りながら、先生は言った
「腹減った…。なんか食いに行くか?」
「あ、じゃあ私が何か作ります」
「良いのか?」
「大丈夫ですよー。何かリクエストとかあります?」
「なんでも構わないよ。正直食材も少ないからな」
言われた通り、冷蔵庫の中はガランとしていた
この数で食事を作るにはどうするか。そんな事を考えていたら、なんだか俄然やる気が出てきた
食器を洗う先生の後ろ姿を、今度は緑茶の入ったマグカップを握ったまま見つめる
ご飯の後食器を洗おうとした私を先生は止めた。してもらいっぱなしは悪いし、美味い食事を作ってくれたお礼もしたいからなと言って
思わず口元が緩んだのは、仕方のない事だと思う
それにしても、お皿を洗う先生の図って言うのは何だか違和感がある。コーヒーを入れたり軽い食事を作る姿には違和感なんて無いのに
カチャカチャと音を鳴らす姿は少しだけ妙な気がする。勿論本人には言わないけれど
「まだ帰らなくていいのか?」
「先生。私もう大学生ですよ?多少帰りが遅れても親はそこまで気にしません。大丈夫ですよ」
「まぁそうかもしれないが…」
「それにさっき、帰り遅くなるってメールしましたから」
「……そうか」
皿洗いを終えた先生は一応な頷きを返すと、私の隣に座ってお茶に口を付けた
テレビもラジオもついていないこの部屋は誰かが喋らないととても静かになる
「先生、そう言うの気にするんですね」
「一応な。氷室先生に怒られるのはご免だし」
「ふふっ」
なんだか懐かしく思えるアンドロイド疑惑のある先生の顔を思い出して笑う私の頭に手を置くと、先生はゆっくりと髪を撫でる
先生にこうされるととても安心する
気持ち良くて瞼を下した私のおでこに先生は軽く唇を添えた。そっと触れる程度の、掠めた程度のキス
少し驚いて目を開けようとした私の顔を押さえて、両まぶたにひとつずつ降ってくるキス
今度こそ本当に瞼を持ち上げると、目の前に先生の顔。普段よりも少し伸びている無精髭をぼんやりと見つめている私の唇を先生は静かに塞ぐ
先生のシャツの端をきゅと握ると、なんだか繋がってる実感が持てて嬉しかった
「せんせ…」
「今その呼び方はどうなんだ、?」
「えと……秋吾さん…」
「ん、合格」
そしてもう一度、キス
シャツを掴んでいた手を離して先生の背中に回すと、それにちゃんと答えてくれる
会いたいと言う気持ちそのままに行動する私を、先生はいつも受け入れてくれる
それだけで本当に、満たされる
title by 彩時雨